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船旅
顔はひどくやつれ、血の気は失せてすさまじかったから、愛する人の眼にさえも、彼がわからなかったのは、まったく無理からぬことだった。しかし、彼の声をきくと、女の眼はそのすがたをとらえ、すぐに悲しい物語のすべてを読みとった。彼女は両手をにぎりしめ、かすかに叫び、それから、ものもいえずに苦しみもだえ、指を組みあわせて、立ちつくしていた。 今や、だれもかれもいそがしく、ざわめいていた。親しい人たちが再会し、友人同士が挨拶をかわし、商人たちは事務の相談だ。わたしだけが、ひとりぼっちでぼんやりしていた。会う友人もなければ、歓呼の声にむかえられるのでもない。わたしは祖先の国に足をおろした。――だが、わたしが感じたのは、自分は異国の人間だということだった。
幽霊花婿
彼の人の夕餉の支度はととのった、今宵は冷たく横たわるやもしれぬ彼の人の。昨夜はわたしが寝間に招じいれたが、今宵は剣の床が待っている。――イーガー卿、グレーム卿、グレイスティール卿 マイン河とライン河の合流しているところからそう遠くない、上ドイツの荒れはてた幻想的な地方、オーデンヴァルトの高地のいただきに、ずっとむかしのこと、フォン・ランドショート男爵の城が立っていた。それは今ではすっかり朽ちはてて、ほとんど山毛欅やうっそうとした樅の木のなかに埋もれてしまっている。しかし、その木々のうえには、古い物見櫓がいまもなお見え、前述のかつての城主と同様、なんとか頭を高くもたげようとし、近隣の地方を見おろしているのである。 その男爵はカッツェンエレンボーゲン(原註2)という大家の分家で、今は衰えているが、祖先の財産の残りと往年の誇りとを受けついでいた。祖先たちは戦争好きだったために、ひどく家産を蕩尽してしまったが、男爵はなおも昔の威容をいくらかでも保とうと懸命になっていた。
幽霊花婿
その当時は平和だったので、ドイツの貴族たちは、たいてい、鷲の巣のように山のなかにつくられた不便な古い城をすてて、もっと便利な住居を谷間に建てていた。それでも男爵はあいかわらず誇らしげにその小さな砦にひきこもって、親ゆずりの頑固さから、家代々の宿敵に対する恨みを胸に抱いていた。だから彼は、先祖のあいだにおこった争いのために、いく人かのごく近くに住んでいる人たちとも折りあいが悪かった。 男爵には一人の娘があるだけだった。しかし、自然は一人の子供しかさずけない場合には、きっとその償いにその子を非凡なものにするのだが、この男爵の娘もその通りだった。乳母たちも、噂好きな人たちも、田舎の親戚たちも、みんなが彼女の父親に断言して、美しさにかけてはドイツじゅうで彼女にならぶものはない、と言ったのである。いったいこの人たちより、ものをよく知っている人がほかにいるだろうか。そのうえ、彼女は二人の独身の叔母の監督のもとに、たいへん気をつけて育てられた。
幽霊花婿
その叔母たちは若いころ数年間ドイツのある小さな宮廷にすごし、立派な貴婦人を教育するためになくてはならないあらゆる方面の知識に通じていた。この叔母たちの薫陶をうけて、彼女の才芸はおどろくばかりのものになった。十八歳になるころには見事に刺繍することができた。彼女は壁掛けに聖徒たちの一代記を刺繍したことがあるが、その顔の表情があまり力づよかったので、まるで煉獄で苦しんでいる人間さながらに見えた。彼女はたいして苦労もせずに本を読むことができ、教会の伝説をいくつか判読し、中世の英雄詩に出てくるふしぎな騎士物語はほとんど全部読み解くことができた。彼女は書くことにもかなりの上達ぶりを見せ、自分の名前を一字もぬかさずに、たいへんわかりやすく署名することができたので、叔母たちは眼鏡をかけないでも読むことができた。彼女は手すさびに見事な腕前で婦人好みの装飾品をなんでもつくったし、当時のもっとも玄妙な舞踊にも長け、さまざまな歌曲をハープやギターでひくこともでき、恋愛詩人がうたうあまい民謡をすべて暗誦していた。
幽霊花婿
叔母たちはまた、若いころ、たいした浮気もので、蓮葉女だったから、姪の操行を油断なく見張り、厳しく取りしまるには全く見事に適当だと思われていた。年とった蓮葉女ほど、がっちりして用心ぶかく、無情なほど礼儀正しい付きそい役はまたとないのである。彼女は叔母たちの眼をはなれることはめったに許されなかった。城の領地のそとに出るときにはかならず、しっかりとした付きそいがついた。というよりはむしろ、十分な見張りがつけられたのである。また絶えず厳格な行儀作法や文句をいわずに服従することについて講釈を聞かされていた。そして、男については、いやはや、絶対に近づかないように教えこまれ、また断じて信用しないように言われていたから、彼女は正当な許しがなければ、世界じゅうでもっとも眉目秀麗な伊達男にさえ、いちべつもくれはしなかっただろう。いや、たとえその男が彼女の足もとで死にかけていたにせよ、見むきもしなかっただろう。
幽霊花婿
このしつけかたのすばらしい効果は、見事にあらわれてきた。この若い婦人は従順と品行方正のかがみであった。ほかの娘たちは世間ではなやかに評判になって、愛らしさをなくし、だれの手にも手折られ、やがては投げすてられがちであった。ところが、彼女はあの汚れのない老嬢たちの保護のもとに、はずかしげにほころびて、みずみずしく美しい婦人になろうとして、あたかも刺に守られて色づく薔薇の蕾のようだった。叔母たちは誇らしく満足げに彼女をながめ、たとえ世のなかのすべての若い女たちが道をふみあやまろうとも、カッツェンエレンボーゲンの跡取り娘には、ありがたいことに、そのようなことは決しておこるはずがない、と吹聴した。 しかし、フォン・ランドショート男爵が、どれほど子供にめぐまれることが少かったにせよ、彼の家族は決して小人数ではなかった。神の御心は彼にたくさんの貧しい縁者をめぐみたもうていたのである。彼らはだれもかれも、およそ貧乏な親類にはつきものの親愛の情をもっていて、おどろくほど男爵を慕い、あらゆる機会を見つけては大ぜいでやってきて、城をにぎわした。
幽霊花婿
一門の祝祭にはこういう善良なひとびとがあつまって祝ったが、費用は男爵がもった。そして彼らは山海の珍味に満腹すると、このような家族の会合、このような心からの歓楽ほどたのしいものは決してあるものではない、とよく言ったものである。 男爵は小男だったけれども、大きな心をもち、自分をとりまく小さな世界のなかでは自分がいちばん偉い人物なのだという思いに満足して得意であった。周囲の壁から、気味の悪いむかしの武士たちの肖像画が恐ろしい顔をして見おろしていたが、彼は好んでその武士たちのことを長々と話したものだ。そして、彼は自分の費用でごちそうしてやった人たちほどよい聞き手はまたとないことに気がついた。彼はふしぎなことが大好きで、ドイツじゅうの山や谷にみちみちている超自然的な物語はどれも固く信じているのだった。ところが、この客たちの信仰ぶりは、男爵自身をしのぐほどだった。彼らはふしぎな話にはどれにも目をまるくし、口をあけて聞きいり、たとえその話が百ぺん繰りかえされても、かならずびっくり仰天するのだった。
幽霊花婿
こうしてフォン・ランドショート男爵は、自分の食卓での予言者となり、小さな領土の絶対君主として、わけても自分が当代随一の賢者であると信じて、幸福に日をおくった。 ちょうどこの話のころ、きわめて重大な事柄についてこの城に一族の大集会があった。それはかねて決められていた男爵の娘の花婿をむかえることについてだった。父親とあるバヴァリアの老貴族とのあいだにすでに話しあいがすすめられており、権威ある両家を、子供たちの結婚によって取りむすぶことになっていた。その下準備はもはや作法通りすまされていた。当の若者たちはたがいに見も知らぬままで婚約させられ、婚礼の日どりがさだめられた。フォン・アルテンブルク若伯爵はそのためにすでに軍隊から呼びもどされ、現に男爵の城へ花嫁をむかえにゆく途上にあった。伯爵からの手紙が、たまたまその滞在先のヴルツブルクからとどき、到着予定の日時をしらせてきてあった。 城は大わらわで彼をむかえるにふさわしい歓迎の準備をしていた。
幽霊花婿
美しい花嫁はなみなみならず念入りに飾りたてられた。例の二人の叔母が彼女の化粧を受けもち、朝のうちいっぱい、彼女の装身具のひとつひとつについて言いあらそいをしていた。当の花嫁は、二人のいさかいを巧みに利用して、自分の好みどおりにしたが、幸いにしてそれは申し分のないものだった。彼女の美しさといったら、世の若い花婿がこれ以上を望むことはとうていできないほどだったし、期待にときめく心で彼女の魅力はいっそう輝きを増していた。 顔や襟もとにさす赤み、静かな胸の高まり、ときおり幻想にふける眼ざし、すべてが彼女の小さな胸におこっているかすかな動揺をあらわしていた。叔母たちは絶えず彼女のまわりをうろうろしていた。未婚の叔母というものは、とかくこういうことにたいへん興味をもつものなのだ。叔母たちは彼女に、どう振舞ったらよいか、どんなことを言えばよいか、また、どういうふうに心まちの愛人を迎えればよいか、ということについて、何くれとなく真面目な助言をあたえていた。
幽霊花婿
男爵もそれに劣らぬほど準備にいそがしかった。彼には、実のところ、これといってしなければならないことは全くなかった。しかし、彼は生れつきせっかちな気ぜわしい男だったから、まわりの人たちがみなせかせかしているのに、平気で落ちついていられるはずはなかった。彼は心配でたまらないといった様子で、城の上から下までやきもきしながら歩きまわった。仕事をしている召使たちを絶えず呼びたてて、怠けずに働くようにいましめたり、また、広間という広間、部屋という部屋を、何もしないでせかせかとうるさくどなりまわり、まるで暑い夏の日に大きな青蠅がぶんぶんとびまわるようだった。 そのあいだにも、犢の肥ったのが殺され、森には猟師たちの喚声がひびき、厨は山海の珍味でいっぱいになり、酒蔵からはライン酒やフェルネ酒がしこたま運びだされた。そしてハイデルベルクの大酒樽さえ徴発されてきた。用意万端ととのって、ドイツ風の真心こめた歓待の精神で、にぎやかにその賓客を迎えるばかりになった。
幽霊花婿
ところが、その客はなかなか現われなかった。時間は刻々とすぎていった。太陽は先刻までオーデンヴァルトのこんもりした森にさんさんたる光を頭上からそそいでいたが、今は山の嶺にそってかすかに光っていた。男爵はいちばん高い櫓にのぼり、遠くに伯爵とその従者たちが見えないものかと思って瞳をこらした。一度は彼らを見たと思った。角笛の音が谷間から流れてきて、山のこだまとなって長く尾をひいた。馬に乗った一群のひとびとがはるか下のほうに見え、ゆっくりと道を進んできた。ところが、彼らはもう少しで山のふもとにつくというとき、急に違う方向にそれてしまった。太陽の最後の光が消えうせ、蝙蝠が夕闇のなかをひらひら舞いはじめた。路は次第にぼんやりしてきて、もうそこには何ひとつ動くものは見当らなくなった。ただ、ときおり農夫が野良仕事からとぼとぼ家路にむかってゆくだけだった。 ランドショートの古城がこうした混乱状態におかれていたとき、オーデンヴァルトのほかの方面では、ひじょうに興味ある光景が展開していた。
幽霊花婿
フォン・アルテンブルク若伯爵は、落ちついたゆっくりした足どりで、のどかに結婚式への旅をつづけていた。どんな男でも、友人たちが求婚のわずらわしさや不安をいっさい自分の手から取り除いてくれて、しかも花嫁が目的地で待っているのは、晩餐が自分を待ちうけているのと同様たしかなことだとなれば、だれしもそんな足どりで旅をするものだ。彼はヴルツブルクで若い戦友に出あった。相手は国境で勤務を共にしたことのある男で、ヘルマン・フォン・シュタルケンファウストといい、ドイツ騎士団のなかでもっとも勇猛で立派な勇士の一人で、ちょうど軍隊から還るところだった。彼の父の城は、ランドショートの古城砦から遠くはなかったが、代々の反目から、両家は敵意をいだき、たがいによそよそしくしていた。 なつかしい再会の機会にめぐまれて、若い友人たちは、自分たちの過去の冒険や武運のことを残らず語りあった。そして伯爵は、ある若い婦人とこれから婚礼をあげることになったいきさつを、いちぶしじゅう物語った。
幽霊花婿
自分はまだその婦人に一度も会ったことはないのだが、その人の美しさといったら、実にうっとりするほどだと聞いている、と伯爵は言った。 この友人たちの行く道はおなじ方向だったから、これから先の旅をいっしょにしようということになった。そして、のんきに旅をすることができるように、彼らは朝早くヴルツブルクを発った。伯爵は自分の従者たちに命じて、あとからきて追いつくように言った。 彼らは軍隊生活や冒険を思い出しては道中のつれづれをまぎらした。しかし、伯爵は、ときとしていくらかくどくなるほど、その花嫁の音にきこえた美しさや、彼を待っている幸福について話した。 このようにして彼らはオーデンヴァルトの山中にはいり、そのなかでも一番ものさびしい、うっそうと樹木の生いしげった山路を越えかかっていた。周知のように、ドイツの森林にはいつも盗賊がはびこっていたが、それはドイツの城に幽霊がよく出没するのとおなじことである。
幽霊花婿
それに当時は解散した兵士の群が国じゅうを流れあるいていたので、こんな盗賊がことに多かった。それだから、この騎士たちが、こうした無頼漢の一味に森の真中で襲われたといっても、別におどろくべきことではあるまい。彼らは勇ましく防いだものの、危くうち負かされそうになった。だが、ちょうどそのとき伯爵の従者が到着し、助太刀しようとした。盗賊たちは彼らを見て逃げだしたが、そのときすでに伯爵は致命傷を負っていた。彼はそろそろと傷を悪くしないように用心しながらヴルツブルクの町へ運びかえされ、それから一人の修道僧が近くの修道院から招かれた。この僧は魂を救うのもうまかったが、身体の治療にかけても有名だった。だが彼の手練も、医術のほうはもはや役に立たなかった。不幸な伯爵の余命は数刻のうちに迫っていたのだ。 いまわの息も絶えだえに、彼は切にその友にねがって、ただちにランドショートの城へ行き、彼が花嫁との約束をはたすことができなくなったやむをえない理由を説明してくれるように言った。
幽霊花婿
彼は恋人としてもっとも熱烈なものというのではなかったが、きわめて几帳面な男で、この使命がいちはやく丁重にはたされることをしきりに望んでいるように見えた。「もしこれが果されないならば」と彼は言った。「ぼくは墓のなかで安らかに眠れないだろう」彼はこの最後の言葉をことさらおごそかに繰りかえした。このような感動的な一瞬にものを頼まれたらためらっているわけにはいかなかった。シュタルケンファウストは伯爵をなだめて気を落ちつかせようとつとめ、誠意をこめてその望みをはたすことを約束し、おごそかな誓いのしるしの手を彼に差しのべた。瀕死の男は感謝してその手をにぎりしめたが、間もなく夢うつつの状態におちいり、花嫁のこと、婚約のこと、誓いの言葉を口走り、馬を命じて、自分でランドショートの城へ乗ってゆくとうわごとを言った。そして、ついに息をひきとったが、鞍へとびのるような恰好をしていた。 シュタルケンファウストは嘆息して、武士の涙を注いで友人の時ならぬ非運を悼んだ。
幽霊花婿
それから自分が引きうけた厄介な使命のことをしみじみと考えた。彼の心は重く、頭は混乱した。招かれぬ客として敵意のあるひとびとのなかにあらわれ、そしてその人たちの希望をふみにじるようなことを知らせて、祝宴をしめっぽくしなければならないのだ。それにもかかわらず、彼の心には、ある好奇心がささやいて、カッツェンエレンボーゲンの名高い美人で、それほどまでに用心ぶかく世間からへだてられていた人をひとめ見たいと思っていた。彼は女性の熱烈な崇拝者であり、また、その性格には、奇癖と山気とがいくらかあり、そのために変った冒険ならどんなことでも好きだった。 出発に先立って、彼は友の葬儀について修道院の僧たちとしかるべき手筈をととのえた。友はヴルツブルクの寺院に埋葬されることになったが、その近くには彼の名高い親戚がいた。服喪中の伯爵の従者たちがその遺骸をあずかった。 ところで今こそカッツェンエレンボーゲンの旧家に話をもどすべきときだ。
幽霊花婿
この人たちは来客を待ちわび、そしてまたそれ以上に御馳走を待ちこがれているのだ。また、尊敬すべき小男の男爵に話をもどさなければならない。彼は物見櫓の上で吹きさらしになっている。 夜は迫っていたが、やはり客は来なかった。男爵はがっかりして櫓からおりた。宴会は今まで一時間一時間とおくらされてきたが、もうこれ以上のばすわけにはいかなかった。肉はとっくに焼けすぎて、料理人は困りはてていた。家のもの全部の顔つきがまるで飢餓のために参ってしまった守備兵のようだった。男爵はしぶしぶながら命令をくだして、賓客がいないままで祝宴をはじめようとした。皆が食卓につき、ちょうど食べはじめるばかりになった折りも折り、角笛の音が城のそとからひびいてきて、見知らぬ人が近づいてくるのを知らせた。ふたたび吹きならす長い音のこだまが、古びた城の中庭にひびきわたると、城壁から見張りがそれに答えた。男爵はいそいで未来の花婿を迎えに出ていった。
幽霊花婿
跳ね橋がもはや下ろされていて、その見知らぬ人は城門の前に進んでいた。彼は背の高い立派な騎士で、黒い馬にまたがっていた。顔色は青ざめていたが、輝かしい神秘的な眼をしていて、堂々としたうちにもうち沈んだところがあった。男爵は彼がこのように簡単なひとりぼっちの旅姿でやってきたことに、いささか気分を悪くした。男爵の威厳をしめそうとする気もちが一瞬きずつけられた。この客の有様はこの重大な場合に正式の礼を欠くものではないか、縁をむすぼうとしている相手の大切な家柄に対しても、敬意が足りないではないか、と彼は考えたくなった。とはいえ、男爵は、相手が若さのためにはやる心をおさえきれず、供のものたちよりも先に着いたに違いないときめて自分をなぐさめた。「かように時刻もわきまえずにお邪魔してまことに申しわけございません」とその見知らぬ人は言った。 ここで男爵は彼をさえぎって、おびただしい世辞や挨拶を述べたてた。実をいうと、彼は自分が礼儀正しく雄弁であることを鼻にかけていたのである。
幽霊花婿
その見知らぬ人は一、二度その言葉の奔流をせきとめようとしてみたが無駄だった。そこで彼は頭を下げて、その奔流の流れるままにしておいた。男爵がひと句切りするまでには、彼らは城の中庭にきていた。そしてその見知らぬ人はふたたび話しだそうとしたが、またもやさえぎられてしまった。このとき、この家の婦人たちがあらわれて、尻ごみしながら顔をあからめている花嫁を連れてきたのだ。彼は一瞬心をうばわれた人のようにじっと彼女を見つめた。あたかも彼の魂がそっくりその凝視にそそぎこまれ、その美しい姿の上にとどまったかのように思われた。未婚の叔母の一人がなにごとか彼女の耳にささやいた。彼女はなんとか口をひらこうとして、そのうるおいのある青い眼をおそるおそる上げ、この見知らぬ人に問いかけるように、ちらっと恥ずかしそうな視線を向け、やがてまたうつむいてしまった。言葉は消えてしまったが、彼女の唇には愛らしい微笑がただよい、やわらかなえくぼが頬にうかんで、今の一瞥が意に満たないものではなかったことを語っていた。
幽霊花婿
情にもろい十八という年頃の娘は、ただでさえ恋愛や結婚にかたむきやすいのだから、こんなに立派な騎士が気に入らないわけがなかった。 客の到着がおそかったので、詳しい話をする暇はなかった。男爵は自分の一存で、こみいった話を全部朝までもちこすことにし、まだ手のつけられていない宴席へ案内した。 宴席は城の大広間に用意されていた。まわりの壁には、カッツェンエレンボーゲン家の英雄たちのきびしい顔をした肖像画や、彼らが戦場や狩猟で得た記念品がかかっていた。切傷のついた胴鎧、そげた馬上試合用の槍、ぼろぼろになった旗が、狩の獲物にまじっていた。狼の顎や猪の牙が、石弓や戦斧のあいだにおそろしく歯をむきだし、巨大な一対の鹿の角が、その若い花婿の頭のすぐ上におおいかぶさっていた。 騎士はその席上のひとびとやもてなしにはほとんど見むきもしなかった。彼は御馳走もほとんど口にせず、何もかも忘れて花嫁を讃嘆しているようだった。
幽霊花婿
彼は他人に聞かれないような低い声で話した。愛の言葉というものは、決して大きな声で話すものではない。恋人のごくかすかなささやきを聞きのがしてしまうほど鈍い女性の耳がどこにあろうか。彼の態度には優しさと真面目さとがかねそなわり、それが令嬢に力づよい印象をあたえたようだった。彼女がじっと注意ぶかく耳をかたむけるとき、その顔には赤みがさしたり消えたりした。ときおり彼女ははにかみながら返事をした。そして、彼の視線がわきへそれると、幻想的な彼の顔をちらっと横目でぬすみ見て、こころよい幸福感のためにほのかなため息をもらすのだった。この若い二人がすっかり愛し合っているのは明らかだった。叔母たちは、心の機微によく通じていたので、二人がひと目で恋におちたとはっきり言った。 祝宴は陽気に、少くとも騒々しく進んでいった。客たちはみな、軽い財布と山の空気につきものの旺盛な食欲にめぐまれていたからである。男爵はいちばん面白くて長い話をしたが、その話をこれほど巧みに、これほど感銘ふかく話したことは今までになかった。
幽霊花婿
その話のなかに、何かふしぎなことがあれば、聞き手たちはわれを忘れておどろきいり、何か滑稽なことがあれば、笑うべきところですかさず笑うのだった。実をいえば、男爵は、たいていの偉い人たちと同じように、あまりに勿体ぶっていたので、退屈な冗談だけしか言えなかった。とはいえ、その冗談は、大盃になみなみと注いだすばらしいホックハイム葡萄酒でいつも威勢をつけられた。それに、退屈な冗談でも、その当人の食卓できかされ、しかも年のたったうまい葡萄酒をふるまわれれば、笑わないわけにはいかないものだ。いろいろとうがったことを男爵よりもっと貧乏だが、もっと気の利いた才子たちが語ったが、それはこのような場合でもなければ二度とくりかえすに堪えないものだった。あれこれとなく滑稽な話が婦人たちの耳もとでささやかれたが、彼女たちはそれを聞くと身もだえして笑いをこらえた。貧乏ながらも陽気な、顔の大きい男爵のいとこが、一つ二つ歌をうなりだしたが、そのおかしさに未婚の叔母たちはすっかり扇で顔をかくしたほどだった。
幽霊花婿
この飲めや歌えの大騒ぎの真最中に、見知らぬ客は、その場にそぐわないはなはだ妙な重々しい態度をとりつづけていた。彼の顔色は夜がふけるにつれて、ますます深い憂鬱な色をおびていった。そして、ふしぎに思われるかも知れないが、男爵の冗談さえますます彼をふさぎこませてしまうばかりだった。ときおり思案にふけっていたかと思うと、また時には、不安そうな落ちつかない眼ざしであたりを見まわしたりして、心がそわそわしていることを物語っていた。彼は花嫁と話しあっていたが、その話はますます真剣に、ますます奇怪になっていった。あやしい雲が彼女の晴れやかなおだやかな額をそっとおおいはじめ、彼女のかよわい五体にふるえが走りはじめた。 こういうことが一座のひとびとの注意をひかないはずはなかった。彼らの歓楽は、花婿の不可解な陰気さのために興をそがれた。彼らの気もちも花婿のおかげで滅入ってしまい、肩をすくめたり半信半疑に頭をふって、ささやきあい、目くばせしあった。
幽霊花婿
歌声も笑い声も次第に少くなった。話はものさびしくとぎれ、ついには怪談や、ふしぎな伝説がもちだされるようになった。不気味な物語は次から次へとさらにもっと不気味な物語を生んでゆき、ついに男爵は、美しいレオノーラ姫をさらっていった妖怪騎士の話をして、婦人たちの胆をつぶし、いく人かはヒステリーをおこさんばかりだった。それは恐ろしいがほんとうの話で、その後すばらしい詩にうたわれ、世界じゅうの人に読まれ、そして信じられているのである。 花婿はふかく心にとめながら、この話に聞きいった。彼は男爵にじっと眼をすえていたが、話が終りに近づくと、おもむろに席から立ちあがり、だんだん背がのびていって、ついに男爵の茫然とした眼には、彼が巨人になったように思われた。話が終るやいなや、彼は深いため息をつき、その一座のひとびとにうやうやしく別れを告げた。彼らはおどろきあきれた。男爵はすっかりたまげてしまった。「なんと。真夜中に城を発つおつもりか。はて、婿殿を迎える用意は何もかもととのうておるのに。もし休みたいのなら、もう部屋の支度もできておる」
幽霊花婿
見知らぬ人は悲しげに、意味ありげに首をふった。「今夜は別の部屋でやすまなければなりません」 この返事の内容と、その声音には、なにか男爵の心をぎくりとさせるものがあった。しかし、彼は気をはげまして、いんぎんに懇願をくりかえした。見知らぬ人は、言われるたびに、黙ったまま、しかしきっぱりと首をふった。そしてその一座のひとびとに別れの手をふりながら、広間からゆっくりと出ていった。未婚の叔母たちは仰天して棒立ちになってしまった。花嫁はうなだれ、目には涙がうかんできた。 男爵はその見知らぬ人について、城の大きな中庭に出ていったが、そこには黒い軍馬が地をかきたてながら、待ちくたびれて鼻を鳴らしていた。城門の深いアーチ型の通路が篝火でおぼろげに照らされているところまできたとき、その見知らぬ人は足をとめて、うつろな声で男爵に話しかけた。その声は円屋根にひびいて、いっそう陰気に聞えた。「わたくしたちだけになりましたから」と彼は言った。
幽霊花婿
「わたくしが去ってゆくわけを申しあげましょう。わたくしにはどうしても果さなければならない約束があるのです」「それならば」と男爵は言った。「だれかあなたのかわりにやるわけにはゆきませんか」「代理はまったく許されないのです。自分で行かなければなりません。わたくしはヴルツブルク寺院へ行かなければならないのです」「そうか」と言って、男爵は勇気をふるいおこした。「明日まで待ちなさい。明日花嫁をつれてそこへ行きなさい」「いや、いや」とその見知らぬ人は十倍のいかめしさをこめて答えた。「わたくしの約束は花嫁との約束ではなく、蛆虫となんです。蛆がわたくしを待っているのです。わたくしは死人です。盗賊どもに殺されて、死体はヴルツブルクに横たわっているのです。真夜中にわたくしは埋められることになっています。墓がわたくしを待っているのです。わたくしは自分の約束を果さなければなりません」 彼は黒馬に飛び乗ると、跳ね橋をまっしぐらに渡っていった。
幽霊花婿
その馬蹄のひびきは、夜嵐のひゅうひゅう鳴る音にかきけされてしまった。 男爵はすっかり胆をつぶして広間にもどり、このなりゆきを物語った。婦人が二人たちどころに気をうしない、ほかの人たちは幽霊と祝宴を共にしたことを思って気味が悪くなった。あるものの意見では、これがドイツの伝説で有名な幽霊猟師なのかもしれないということだった。またあるものは山の妖鬼や、森の悪魔や、そのほかの超自然的な魔ものの話をして、ドイツの善良なひとびとは、遠い昔から、そういうものにひどく悩まされてきたと言った。貧しい親類の一人が、あれはあの若い騎士のふざけた逃げ口上だったのかもしれない、それにあの気まぐれなもの憂さこそ、ああいう陰気な人柄にはぴったりするように思える、と思いきって言いだした。しかし、この言葉は、その一座のひとびと全部の憤りを買うことになったが、ことに男爵はひどく怒った。男爵はその人をほとんど異端者としか思わなかった。
幽霊花婿
それだから彼はやむなく大急ぎで彼の異端の説を引っこめて、真実の信者たちの信仰に加わった。 だが、ひとびとがどんな疑いをいだいたとしても、その疑いは、翌日になって正式の文書がとどいたので、すっかりかたがついた。その文書によって、若伯爵が殺害され、ヴルツブルク寺院で埋葬されたというしらせは確認されたのである。 城の狼狽ぶりは十分に想像されよう。男爵は自分の部屋にとじこもってしまった。客たちは、彼とよろこびを共にしようとしてやってきたのだが、悩んでいる男爵をすてて去る気にはなれなかった。彼らは庭をうろうろ歩きまわったり、広間に群をなしてかたまりあったりして、この立派な人物の苦しみに、頭をふったり肩をすくめたりしていた。そして、いつもより長く食卓に坐り、いつもより盛んに食ったり飲んだりして、元気を出そうとした。しかし、寡婦になった花嫁の立場がいちばん憐れだった。抱擁さえしないうちに夫をなくしてしまうとは。
幽霊花婿
しかも、あれほどの夫を。幽霊でさえあのように優雅で気高いのだから、生きている人だったら、さぞすばらしかったことだろう。彼女は家じゅうを悲しみの声で満たした。 寡婦になった二日目の夜、彼女は、どうしても彼女といっしょに寝ようという叔母の一人に付きそわれて寝室にひきとった。その叔母はドイツ中でもっとも上手に怪談を話す人で、いちばん長い物語を話していたが、その真最中のところで眠りこんでしまった。その部屋はほかから遠く離れ、小さな庭に臨んでいた。姪は横になったまま、もの思いにふけり、月がのぼり、その光が格子の前の白楊の葉のうえにふるえているのを見つめていた。城の時計がちょうど真夜中を告げた。するとやわらかな音楽の調べが庭からしのびこんできた。彼女はいそいでベッドから起きあがり、軽やかに窓のほうへ歩みよった。背の高い人影が木蔭に立っていた。その人影が頭をあげたとき、一すじの月光がその顔に差しこんだ。
幽霊花婿
なんということだろう。彼女が見たのは幽霊花婿だった。その瞬間、高い鋭い叫び声が、彼女の耳をつんざいたかと思うと、叔母が彼女の腕のなかへ倒れかかってきた。叔母は音楽に目をさまし、そっと彼女について窓のところに来ていたのだった。彼女がふたたび眺めたときには、幽霊は姿を消していた。 二人の婦人のうち、今では叔母のほうの気をしずめる必要があった。彼女は恐ろしさのために気が動転してしまったのだ。若い婦人はというと、恋人の幽霊にさえ何か心をひかれるものがあった。その幽霊には相変らず男らしい美しさといったものがあったし、また男の影では、恋になやむ乙女心は満足しないではあろうが、しかしその実物が得られない場合には、その影ですら慰めになるものだ。叔母はもう二度とあの部屋には寝ないと言った。姪も今度ばかりは強情で、城内のほかの部屋では絶対に寝ないと、負けずに強く言い張った。その結果、彼女はひとりで寝なければならないことになった。
幽霊花婿
しかし彼女は叔母に約束させて、幽霊のことを話さないと言わせた。そして、彼女は世界でたった一つ残された楽しみを奪われまいとしたのだ。その楽しみは、自分を愛する幽霊が夜ごと寝ずの番をしてくれる部屋に住むということだった。 その善良な老婦人がどれほど長くこの約束を守ったかは、あやしいものである。彼女はふしぎなことがらを話すのがはなはだ好きだったし、それに、恐ろしい話をだれよりも先に話すことには一種の優越感があるものだ。とはいえ、彼女がそれをまる一週間秘めていたことは、女性にも秘密を厳守することができるという記念すべき実例として、今もなおこの辺りでは話題にされている。ところがある朝、令嬢が見あたらないという知らせが朝食の席にもたらされたので、この叔母は突然もうこれ以上どんな束縛も受けないでよいことになったのだ。令嬢の部屋はもぬけのからで、寝台には寝た様子もなく、窓はあけはなされ、小鳥は飛び去っていた。
幽霊花婿
その知らせをうけたときのひとびとの驚きと心配とがどんなものであったか想像できるのは、偉人の不幸によってその友人たちがどんなに動揺するかを目のあたりに見たことのある人だけであろう。貧しい親類たちでさえ一瞬がつがつ食べつづける手を休めたほどだ。そのとき叔母が、はじめは驚いて口もきけずにいたが、手を握りしめながら、金切声で叫んだ。「お化けです。お化けです。あの子はお化けにさらわれたのです」 彼女は庭での恐ろしい光景をかいつまんで物語り、幽霊が自分の花嫁をつれさったに違いないと結んだ。二人の召使がその意見を証拠だてた。彼らは真夜中ごろに馬蹄の音が山をくだってゆくのを耳にしていて、それが黒馬に乗った幽霊であって、彼女を墓場へさらってゆくところだったということを少しも疑わなかったのである。その場の人たちはみな、これは恐ろしいことだが、ほんとうかもしれない、と思ってぎくりとした。こうした類のできごとはドイツではきわめて普通のことで、多くのよく確かめられた物語が立証している通りなのだ。
幽霊花婿
あわれな男爵の境遇は、なんと痛ましいものであったろう。子煩悩な父親として、また偉大なるカッツェンエレンボーゲン家の一員として、なんと胸の張りさけるような苦しい立場であったろう。彼の一人娘は墓場へつれさられてしまったのだ。さもなければ、男爵はどこかの森の悪魔を婿にもち、場合によっては、化け物の孫をたくさん持つことになるかもしれないのだ。例のごとく彼はすっかり当惑してしまい、城じゅうが大騒ぎになった。命令によって、ひとびとは馬に乗り、オーデンヴァルトの道路といわず、小みちといわず、谷間といわず、くまなく捜索することになった。男爵自身も長靴をはき、剣を吊って、馬にまたがり、見つかる当てもない探索にくりだそうとした。とちょうどそのとき、新たな幽霊があらわれて、男爵ははたと立ちどまった。一人の婦人が婦人用の馬にまたがり、馬に乗った一人の騎士につきそわれて、城に近づいてくるのが見えた。彼女は馬を駆って門までくると、馬からとびおり、男爵の足もとにひれふして、彼の膝を抱きしめた。
幽霊花婿
それは行方知れずになった娘だった。そしてその連れは――幽霊花婿だった。男爵は度胆をぬかれた。彼は自分の娘に目をやり、それからその幽霊を見て、自分が正気なのかどうかを疑わんばかりだった。それにまた幽霊は、幽冥界を訪れてから、おどろくほど様子が立派になった。彼の服装はきらびやかで、男らしい均斉のとれた高貴なすがたをひきたてていた。彼はもはや青ざめてもいず、また、うち沈んでもいなかった。その凜々しい顔は、若さの光に輝き、歓びがその大きな黒い眼に生き生きとしていた。 その不可思議なこともやがて明らかになった。その騎士(じつは諸君も先刻来御承知のように、彼は幽霊ではなかったのである)はヘルマン・フォン・シュタルケンファウスト卿と名乗った。彼は若伯爵と共にした冒険談を物語った。いやな知らせを伝えるためにこの城へ急いだこと、しかしそれを話そうとするたびに、男爵の雄弁が彼をさえぎってしまったということの次第を話した。
幽霊花婿
また、花嫁を見てすっかり心をうばわれてしまい、彼女のそばで二、三時間すごすため、黙って間違えられたままにしていたこと。どうやってうまく帰ろうかと、まったく途方に暮れていたところ、男爵の怪談でやっとあのとっぴな脱出を思いついたこと。そして一族の封建的な敵意をおそれて、ひそかにいくたびか訪れ、姫の窓下の庭にしばしばかよい、求婚し、説きふせてしまい、意気揚々とつれさり、そして要するに、その美しい婦人と結婚してしまったわけを話した。 何かほかの事情だったら、男爵は一歩もゆずりはしなかったろう。彼は親の権威を頑固に守り通していたし、家代々の宿怨におそろしく意地張りであったのだ。だが彼は娘を愛していた。彼は娘をもうこの世のものではないとあきらめて悲しんでいた。ところが今なお生きているのを見て狂喜した。そして娘の夫が敵方の家のものであったにしても、ありがたいことに化け物ではなかったのだ。その騎士が、自分は死人だといって彼をだました冗談には、彼の生真面目な考えとぴったりゆかないところがあったことは認めないわけにはいかない。
幽霊花婿
しかしその場にいた数人の旧友たちで戦争に行ったことのあるものが、恋愛にはあらゆる策略が許されるものであるし、この騎士は最近騎兵として軍務に服していたのだから、特別なはからいを受けるべきであると男爵に言った。 そういうわけで、事は円満におさまった。男爵は若い二人をその場で許した。城では酒盛りがふたたび始められた。貧しい親類のものたちは、この新たな家族の一員に真心のこもった親切を浴せかけた。彼はまことに雄々しく、まことに寛大で、そしてまことに金持ちだった。叔母たちは、実のところ、厳格に閉じこめ、おとなしく服従させるしつけかたが、こんなにまずい例になってしまったことにいくらか憤慨したが、それをみな窓に格子をはめておかなかった自分たちの不注意のせいにした。叔母の一人は、自分の奇談が台なしになったのと、自分が見た唯一の幽霊がにせものであるとわかったことを、ことさらくやしがった。しかし姪はこの幽霊が血と肉とをもつ人間であることを知って、すこぶる幸福そうであった。かくして物語は終るのである。原註1 博学な読者は伝説によく通じていれば気がつくだろうが、この物語は老スイス人が、あるフランスの奇談から思いついたもので、パリで起ったといわれている一事件がもとになっているのに相違ないのである。原註2 「猫の肘」の意。かつては権勢を誇った家系の称号で、この一族に属する貴婦人の美しい腕をたたえて名づけられたという。
リップ・ヴァン・ウィンクル
水曜日の名が由来した、サクソン人の神ウォーデンに誓って言う。真理をこそ、わたしは常に守ろう、おくつきに入るその日まで。――カートライト〔この物語は、ニューヨークの一老紳士、故ディードリッヒ・ニッカボッカー氏の記録のなかに発見されたものである。彼はこの地方のオランダ人の歴史や、その初期の移民の子孫たちの風習に、たいへん興味をもっていた。しかし、彼の歴史の研究は、文献をさぐるよりも、むしろ生きた人間についておこなわれた。彼の好んだ題目について記された書物はじつに悲しむべきほど少く、それにひきかえて、年とったオランダ市民たちはもちろんだが、ましてその細君たちが、真実の歴史にはなくてはならない貴重な口碑伝説をたくさん知っていることがわかったからである。だから、彼は、生粋のオランダ人一家が、ひろびろと枝をのばした鈴懸の木の下の、屋根の低い農家につつましく住んでいるのにたまたま出あうことがあれば、いつでも、その一家を、留めがねがついた、肉太文字で書かれた小さな一巻の書物に見たてて、本食い虫の熱心さでそれを研究した。
リップ・ヴァン・ウィンクル
この研究全部の結果が、数年まえに出版されたオランダ総督の統治時代のニューヨーク州の歴史である。この著作の文学的な性質については、さまざまな意見が述べられてきたが、実をいえば、その出来ばえは、なみ以上にすぐれてはいないのである。その主なとりえはゆきとどいた正確さにある、それもはじめてこの書物が世に出たころには、じっさい、いくぶん問題になったのだが、その後まったく確かなものと認められ、今ではあらゆる史誌集に加えられて、疑う余地もない権威書とされている。 この老紳士は、その著作の出版ののち、ほどなく世を去った。もはや彼は亡くなってこの世にいないのだから、彼の時間をもっと大切な仕事に使ったほうがずっとよかっただろう、といっても、さほど故人の名声をきずつけることにはなるまい。しかし、彼はとかく勝手気ままに自分の好きな道を進みたがった。そして、そのために時には少々砂ぼこりを蹴たてて、まわりの人たちの眼をいため、自分では心から尊敬し愛情も寄せていた友人たちの心を悲しませることがあった。
リップ・ヴァン・ウィンクル
だが今となってみれば、彼の失策や愚行も「怒りよりも、むしろ悲しみの気もちで(訳註)」思い出されるのだ。そして、今では、彼が、決して人を傷つけたり怒らしたりするつもりはなかったのだ、と思われるようになってきている。しかし、彼の死後の名声が批評家たちからどう評価されようとも、その名は多くのひとびとに今もなお懐しがられている。そして、彼らの立派な意見には耳をかたむけるだけのことはあるのだ。あるビスケット製造者たちのは殊にそうだが、この人たちは、その老紳士の似顔を新年の菓子に刻みつけさえして、彼を永遠に伝える機会をつくった。これはウォータールー記念章や、アン女王朝の銅貨に印されるのとほとんど同じことなのである〕 船でハドソン河をさかのぼったことのある人なら、だれでも、きっとカーツキル山脈を憶えているにちがいない。それはアパラチヤ大山系から分離した一つの支脈で、はるかに河の西方に見え、気高く聳え立って、そのあたり一帯に君臨している。
リップ・ヴァン・ウィンクル
季節が移りかわるごとに、天候が変化するごとに、いやそれどころか、一日のうちでも時々刻々に、この山々のふしぎな色や形は変化を見せるので、どこの女たちも、この山脈をくるいのない晴雨計だと思っている。よい天気がつづくときには、山々は青と紫とにつつまれて、澄みとおった夕空にくっきりとその輪郭を描きだす。しかし、時には、ほかのところに一点の雲もないのに、この山々は、その頂きに灰色の霧の頭巾をつけることもあり、それが夕陽の最後の光をあびて、栄光の冠とまごうばかりにきらきらと光り輝くのだ。 ハドソン河の船客は、この霊妙な山なみのふもとの村から、かるく煙が立ちのぼってゆくのを、みとめるだろう。その村の板葺屋根が、木の間がくれにちらちら光っている、ちょうどそのあたりで、高地の紺青色が、近くの鮮かな緑色にとけこんでいる。それは小さな村だが、たいへん古く、この地方のひらけはじめた頃、ちょうどピーター・スタイヴァサント(安らかに眠りたまえ)の治世の初期に、数名のオランダ移住民が建設したもので、そこにはつい二、三年まえまで当初の移民の家がいく軒か残っていた。
リップ・ヴァン・ウィンクル
その家は、オランダから持ってきた黄色い小さな煉瓦で建てられ、格子窓があって、正面は破風造りで、棟には風見がのっていた。 まさにこの村の、まぎれもないこういう家の一軒に(ありのままの事実を言うと、それは年月を経て、いたましいほどに古び、雨風にさいなまれていたが)もうなん年も前のこと、この地方がまだ大英国の領地だったころに、素朴で人のよい男が住んでいて、その名をリップ・ヴァン・ウィンクルといった。彼はヴァン・ウィンクル家の末裔だったが、彼の祖先は、騎士道はなやかなりしピーター・スタイヴァサントの時代に武名をとどろかし、スタイヴァサントに従ってクリスティーナ要塞の包囲戦に加わったことがある。ところが、彼自身は祖先の尚武の気風をほとんど受けついでいなかった。わたしは、彼が素朴で人のよい男だと言ったが、そればかりではなく、彼は近所の人には親切で、また、女房の尻に敷かれた従順な亭主でもあった。じっさい、この女房に頭があがらないという事情のおかげで、あんなに気だてが優しくなり、だれにでも好かれるようになったのかもしれない。
リップ・ヴァン・ウィンクル
口うるさい女房に、家できびしくしつけられている男たちは、えてして外では人の言いなりになって折りあいがよいものなのだ。そういう男たちの性質は、たしかに、家庭の責苦という燃えさかる炉のなかで、自由自在に打ちのばしがきくようにされるのである。寝室でひとこと小言をきかされると云うことは、世界中のあらゆる説教を聞いたも同然で、忍耐と辛抱の美徳を教えこまれるものだ。だから、ある見かたからすれば、口やかましい女房はかなりの恩恵だとも考えられる。もしそうなら、リップ・ヴァン・ウィンクルはこのうえもない果報者だったのである。 たしかに、彼は村じゅうの女房連のあいだにたいへんな人気があった。女というものはつねにそうであるが、この女房たちも、夫婦喧嘩のときにはいつも彼の肩をもち、日ぐれどきの世間ばなしにこの話題が出ると、ヴァン・ウィンクルのおかみさんを、さんざんにこきおろしたものである。村の子供たちも、彼がやってくると、いつでも大喜びをして歓声をあげた。
リップ・ヴァン・ウィンクル
彼は子供たちといっしょに遊び、玩具をつくってやったり、凧のあげかたやおはじきの仕方を教えたり、幽霊や、魔法使のばあさんや、インディアンの話を長々と聞かせてやった。彼が村をぶらぶら歩いてゆくと、かならず大ぜいの子供たちが彼を取りまいて、上衣の裾にぶらさがるやら、背中によじのぼるやら、さまざまのいたずらをしかけたが、一向に叱られはしなかった。それにこの界隈では一匹の犬さえも彼にほえつこうとはしなかった。 リップの性質の大きな欠点は、何ごとによらず金になる仕事をするのが、いやでいやでたまらなかったことだ。それはなにも、一生懸命になってやる気がないからとか、根気が足りないからとかいうのではなかった。その証拠に、彼は濡れた岩の上に腰をおろし、韃靼人の槍ほどもある長くて重い釣竿をもって、日がな一日釣をして、ぶつりとも言わず、たとえ魚がいっぺんも食いつかなくても、まったく平気なのだ。彼は猟銃を肩にして、なん時間もぶっとおしに、重い足をひきずりながら、森をぬけ、沼地を渡り、丘を越え、谷をくだって、あげくのはてに、栗鼠や野鳩をほんの二つ三つ射ちとめたものである。
リップ・ヴァン・ウィンクル
彼は近所の人の手つだいならば決してことわらず、どんな荒仕事でもした。田舎の陽気な野良仕事には、真先きに立って働き、玉蜀黍の皮をむいたり、石垣をきずいたりした。村の女たちも、彼に使い走りに行ってもらったり、彼ほど親切ではない亭主たちがしてくれない半端な用事をいつも彼にたのんだりするのだった。一口にいうと、彼はだれの用事でも喜んで引きうけたが、自分の仕事は駄目で、一家のつとめや、自分の畠の手入れとなると、とてもする気になれなかったのである。 現に彼ははっきりと、うちの畠はいくら手を加えてみてもなんの甲斐もない、こいつときたら、この地方一帯でもいちばん厄介な地所で、何をしても、ひとつとしてうまく行ったためしはないし、またどんなに頑張ってもうまくゆくはずがないと言っていた。垣根はいつもばらばらにくずれ、牝牛はどこかへ迷っていってしまったり、キャベツ畑へ入りこんだりした。雑草はたしかに彼の畠では、ほかのところより早くのびた。
リップ・ヴァン・ウィンクル
彼が何か家のそとで仕事をしようとするときにかぎって雨が降りだす。そういうわけで、彼の父祖伝来の地所は、彼が管理するようになってからは少しずつ減ってゆき、今は玉蜀黍と馬鈴薯の畠がほんのわずか残っているだけだ。それでもまだ、それはこの界隈でいちばん手入れのゆきとどかない畠だった。 彼の子供たちもまた、ぼろぼろのなりをして、野育ちで、まるで親のない子のようだった。息子のリップは、いたずら小僧で父親に生きうつしで、やがては父親の古着といっしょに、その性癖まで受けつぐことはあきらかだった。彼が小馬のようにちょこちょこと、母親のあとについて歩いてゆくのがよく見受けられたが、父親の穿きすてただぶだぶのズボンをはいていて、えらく骨を折ってそのズボンを片手でたくしあげる様子は、ちょうど貴婦人が、天気の悪い日にスカートの裾をもちあげて歩くのに似ていた。 しかし、リップ・ヴァン・ウィンクルは、いわゆるおめでたい人間の一人で、間のぬけた、呑気な性質だった。
リップ・ヴァン・ウィンクル
のんびりとこの世をくらし、白パンであろうと、黒パンであろうと、なるべく頭をつかったり骨を折ったりしないで手に入るほうを食べ、働いて一ポンドの金をかせぐよりは、むしろ一ペンスしかなくても腹を空かせているほうがよかった。もし気の向くままにほっておいたら、口笛でも吹きながら、しごく満足して一生をすごしたことだろう。しかし、彼の女房は、彼の耳もとで、のべつまくなしにがなりたてて、やれぐうたらだ、やれのんきすぎる、いまに一家が路頭に迷うようなことになる、と言って責めたのである。 朝も、昼も、夜も、彼女の舌はやむことなく動き、彼の言うことやすることは何でも、彼女のとめどもなくものすごいおしゃべりのたねになってしまう。リップには、こういう説教に答えるのに、たった一つの策しかなかった。そして、それはたびたびやっているうちに癖になってしまっていた。彼は肩をすくめ、頭をふり、空を仰いで、ひとことも口をきかずにいるのだった。
リップ・ヴァン・ウィンクル
しかし、これはきまって女房から新たに一斉射撃を浴びせられる種になった。そこで、彼は旗を巻いて退却し、家のそとへ逃げてゆくより仕方がなかった。じっさい、女房に天下をとられた亭主の逃げ場所といえば、ただ家のそとがあるばかりである。 家のなかでリップの味方をするのは、犬のウルフだけだったが、この犬がまた主人に負けず劣らず、はなはだ細君に頭があがらなかった。ヴァン・ウィンクルのかみさんは、彼らをのらくら仲間と見て、意地の悪い目でウルフをにらみつけ、主人がむやみにふらつき歩いているのはこの犬のせいだ、と言わんばかりだった。じっさい、ウルフはどこから見ても立派な犬にふさわしい気性をそなえていて、どんな猟犬にも劣らず勇敢に、獲物を追って森の中を駈けまわった。だが、いかに勇気があったとしても、絶えまなく四方八方から攻めたてる恐ろしい女の舌には対抗できない。ウルフは家に入るなり、うなだれてしまい、尾は地面に垂れさげるか、股のあいだに捲きこんで、絞り首にでもされるような様子でおずおずと歩き、しきりにヴァン・ウィンクルのかみさんを横目でうかがうのだった。
リップ・ヴァン・ウィンクル
そして、ほんのちょっとでも箒の柄や柄杓をふりあげようものなら、悲鳴をあげて、戸口のほうへすっとんでゆくのだ。 連れそう年月がたつにつれて、リップ・ヴァン・ウィンクルの形勢はますます悪くなる一方だった。とげとげした性質は、年をへてもやわらぐものではなく、毒舌は使えば使うほど鋭くなる唯一の刃物である。もう久しいこと、彼は、家から追いだされると、村の賢人や、哲学者や、そのほかの怠けものがあつまる一種の常設クラブのようなところへ通っては、みずからを慰めることにしていた。そのクラブは、ジョージ三世陛下の赤ら顔の肖像を看板にかかげた、小さな宿屋のまえのベンチで会合をひらくのだ。ここで彼らは、長いものうい夏の日に、一日じゅう木かげに腰をすえて、大儀そうに村の噂話をしたり、いつ果てるともしれぬ、とりとめのない話をしたりするのだった。しかし、たまたま通りすがりの旅行者から、古新聞が手に入ったりすると、深遠な議論がおこることもあった。
リップ・ヴァン・ウィンクル
それはどんな政治家でも金をはらって聞くだけの価値のある議論であったろう。彼らはまったくもってまじめくさってその新聞の内容を傾聴したものだ。勿体ぶってゆっくりと新聞を読みあげるのは、デリック・ヴァン・バンメル校長先生だ。この人は、身なりのきちんとした、学問のある小男で、辞書にあるどんなむずかしい言葉にも決してひるむことはない。そして、彼らは実にえらそうな顔をして、国家問題を論じあったものだ。もっとも、問題が起ってから数カ月もたってはいたが。 この一党の意見を完全に牛耳っていたのは、ニコラス・ヴェダーといって、村の長老で、この宿屋のあるじだった。彼はその宿屋の門口に、朝から晩まで腰をすえ、日光を避けて、いつも大きな木の蔭に入っているようにするほかには動かなかった。だから近所の人たちは、彼が席を移したところによって、日時計とおなじくらい正確に時刻を知ることができた。じっさい、彼はめったに口をきかないで、絶えずパイプをくゆらしていた。
リップ・ヴァン・ウィンクル
しかし、彼の子分ども(偉い人物には、かならず子分がいるものだ)は、すっかり彼の心を了解していて、彼の意見を推測する方法を心得ていた。だれかが読んだり話したりしたことで、気に入らないことがあると、彼は猛烈にパイプをふかし、怒って、しきりにすぱすぱ煙を吹きだすのが目についた。しかし、お気に召したときには、ゆっくり静かに煙を吸いこみ、かるい雲のようにふわりと吐きだすのだ。ときには口からパイプをとって、香りのよい霞のような煙を鼻のあたりにうずまかせながら、重々しくうなずいて、大賛成の意をあらわすのだ。 この砦からも、不幸なリップはついにがみがみ女房のために、いやおうなしに追いだされてしまった。彼女は不意にこの平穏な集会のなかに押し入って、一座のひとびとを頭ごなしにどなりつけるのだ。あのいかめしい人物のニコラス・ヴェダーでさえ、この恐ろしい女丈夫の毒舌をまぬがれることはできなかった。彼女は彼に向い、亭主をそそのかして怠け癖をつけたのはおまえさんだと言って、まっこうから食ってかかった。
リップ・ヴァン・ウィンクル
あわれなことに、リップは、しまいにはほとんど絶望の淵におちてしまった。畑仕事や女房のがなりたてる声から逃れるには、銃を手にして森のなかへ迷いこむよりほかに手段はなくなった。彼は森のなかで、ときどき木の根もとに腰をおろして、ウルフと弁当を分けあうのだった。彼は、共に迫害に苦しむ仲間として、ウルフに同情をよせていた。「かわいそうにな、ウルフ」と彼はよく言った。「おまえの女主人はおまえにみじめな暮しをさせているな。だが、気にかけるんじゃないよ、な。おれが生きているかぎり、おまえの友だちになって味方してやるからな」ウルフは尾をふって、主人の顔をものおもわしげに見入るのだった。もし犬にも憐れと思う心があるものなら、ウルフのほうも、心の底から主人をあわれんでいたに相違ない。 よく晴れた秋の日、こんなふうにして長いことぶらぶら歩いているうちに、リップはいつのまにか、カーツキル山脈のいちばん高い峰の一つに登っていた。
リップ・ヴァン・ウィンクル
彼は大好きな栗鼠撃ちをしていた。銃声がしじまにこだまし、またこだまをかえした。息もきれぎれに疲れはてて、彼は午後もおそくなってから、山の、草におおわれた緑の丘に身を投げだした。そこはちょうど断崖の端の頂きになっていた。木立のすきまから、彼は、なんマイルにもわたって鬱蒼とした森林がつづいている低い地方をいちめんに見おろした。遠く、はるか下のほうには、堂々たるハドソン河が望まれ、紫色の雲のかげや、たゆたう小舟の帆影を、その鏡のような水面のここかしこに、眠たげに映しながら、音もなく、荘厳に流れ、やがて青い高地のあいだにその姿を消していった。 ふりかえって見おろせば、そこは深い峡谷で、荒れはてて、ものさびしく、草木がぼうぼうとおいしげり、その谷底はそばだつ断崖から崩れおちた岩のかけらで埋まり、夕映えの光もほとんどさしこまなかった。しばらくのあいだリップは、寝ころんだまま、この光景に見入っていた。夕暮れは次第に濃くなり、山々は長い青い影を谷間に投げかけはじめた。
リップ・ヴァン・ウィンクル
これでは村に着かないうちにすっかり暗くなってしまうだろうということに彼は気がついた。女房の恐ろしい剣幕に出会うことを思って彼は深い溜め息をもらした。 彼が山をおりようとしたとき、遠くのほうから「リップ・ヴァン・ウィンクル、リップ・ヴァン・ウィンクル」と呼びかける声がきこえてきた。彼はあたりを見まわしたが、烏がただ一羽、山の上を羽ばたいてゆくほかには、何も見えなかった。きっと気のせいだろうと思って、ふたたびおりてゆこうとした。そのとき、同じ呼び声が森閑とした夕ぐれの大気にひびきわたった。「リップ・ヴァン・ウィンクル、リップ・ヴァン・ウィンクル」と同時に、ウルフは背中の毛を逆立てて、一声ひくく唸り、主人のかたわらにこそこそと近より、恐ろしげに谷間を見おろした。リップはこのとき、訳のわからぬ気味悪さが身に迫ってくるのを感じ、不安げに同じ方向を見た。すると奇妙な姿をした者が、何か背中に重いものを背負って、前かがみになりながら、ゆっくりと岩をよじのぼってくるのが目に入った。
リップ・ヴァン・ウィンクル
彼は、こんなさびしい人のかよわぬところに、人間のすがたを見たのでびっくりしたが、これはだれかこの近辺のものが助けをもとめているのだろうと思い、手をかしてやろうと、急いでおりていった。 近づいてみると、彼はその見知らぬ人の様子の風変りなのにますます驚いた。背の低い角ばった体格の老人で、かみの毛は濃くて、ぼさぼさしており、胡麻塩ひげをはやしていた。服装はずっと古いオランダ風で、布製の胴着の腰を帯紐でしめ、半ズボンをなん枚も重ねてはいていたが、そのいちばん外側のはだぶだぶで、両側には一列に飾りボタンがつき、両膝には房がついていた。彼は肩に、酒がいっぱい入っているらしい頑丈な樽をかついでいて、こっちへきて荷物に手をかしてくれとリップに合図した。この初めて会った知合いに多少きまりが悪く、不安でもあったが、リップは例によってすぐさま申し出に応じた。そこで、かわるがわる樽をかつぎながら、二人は、水の涸れた渓流の川床らしい狭い峡谷をよじのぼって行った。
リップ・ヴァン・ウィンクル
登るにつれて、リップはときおり長く余韻をひく遠い雷のようなひびきを耳にした。それは高い岩と岩とのあいだの深い峡谷から、というよりはむしろ、その割れ目からきこえてくるように思われた。二人の進む嶮しいみちはそのほうに通じていた。リップはちょっと立ちどまったが、これは高山でときどき起る一時的な雷雨のひびきだろうと思って、また歩きつづけた。峡谷を通りぬけると、切りたった絶壁にかこまれた小さな円形劇場のような窪地へ出た。その絶壁の縁には、木々がおおいかぶさるように枝をさしのべているので、青空と明るく輝く夕やけ雲とがちらっと見えるだけだった。ここまでずっとリップとその連れとは黙々として一生懸命に登ってきた。このような人けのない山のなかに、なんのために酒樽を運びあげるのか、リップにはひどく不審に思われたのだが、この見知らぬ男には何か妙な得体の知れないところがあって、そのために恐ろしい気がして、馴れなれしくできなかったのである。
リップ・ヴァン・ウィンクル
円形劇場にはいると、新たにふしぎなものがあらわれた。真中の平らな場所で、一団の奇妙な様子の人たちがナインピンズをして遊んでいた。彼らは変った異国風な服装をしていた。あるものは短い上衣を着、あるものは胴着を着て、いずれも帯に短剣をたばさんでおり、大部分はその案内者とおなじ型のだぶだぶの半ズボンをはいていた。彼らの顔つきも一風かわっていた。長い顎ひげを生やし、四角ばった顔で、豚のような小さい眼をしているものもいれば、また、鼻ばかりでできあがっているような顔をしていて、白いすり鉢形の帽子をかぶり、そのうえに赤い小さな鶏の尾羽をつけているものもいた。みなそれぞれ顎ひげを生やしていたが、その形も色もさまざまだった。そのなかにひとり頭目とおぼしきものがいた。その男はがっしりした老紳士で、雨風にたたかれてきたような風貌をしていた。彼はレースのついた上衣を着て、幅の広い帯に短剣をさし、羽根飾りのついた山高帽をかぶり、赤い長靴下をはき、踵の高い短靴にはばらの花かざりをつけていた。
リップ・ヴァン・ウィンクル
この一団のひとびとを見てリップがおもいだしたのは、村の牧師ドミニー・ヴァン・シャイクの客間にある古いフランダース派の絵のなかの人物だった。その絵は、むかし移住の時代にオランダから持ってこられたものである。 とりわけリップに奇妙に思われたのは、この連中が、あきらかに遊び興じているのに、このうえなくしかつめらしい顔をし、ふしぎに黙りこくっていて、まったく今までに見たこともないような陰気な遊び仲間だったということである。この場の静けさをやぶるものは、ナインピンズの球のひびきだけで、球がころがるたびに、その音は雷鳴のように山々を伝ってこだました。 リップとその連れが近づいてゆくと、彼らは急に遊戯をやめ、じっと動かない彫像のような目つきをして、異様な、ふしぎな、生気のない顔でにらんだので、リップの心はおじけづき、膝ががくがくふるえた。彼の連れは、そのとき、樽の中味をいくつかの大きな酒壜にあけかえ、リップに合図して、一座のものに給仕するように命じた。
リップ・ヴァン・ウィンクル
彼は恐ろしさにふるえながら、指図にしたがった。一同は黙りこくったまま、酒をぐいぐい飲むと、また勝負にとりかかった。 次第にリップの恐怖や不安はおさまっていった。彼は、だれの目も自分にそそがれていないすきをみて、思いきってその飲みものを味わってみるほどになったが、その風味は上等のオランダ酒そのままのようだった。リップは生まれつき酒好きだったので、すぐにまた一杯やりたくなった。一口のむとまた一口に手が出て、あまりなんどもなんども酒壜をかたむけていたので、ついに正気を失い、目がくるくるまわって、次第に頭が垂れさがり、そのままぐっすり眠りこんでしまった。 眼をさましてみると、彼は緑の丘のうえにいるのだった。谷間にはじめて、あの老人を見たところである。彼は眼をこすった。うららかな太陽の照り輝く朝だった。小鳥は茂みのなかで跳びながらさえずっていた。鷲が一羽空高く輪をえがいて、けがれのない山のそよ風を胸にうけて舞っていた。
リップ・ヴァン・ウィンクル
「まさか」とリップは思った。「おれは一晩じゅうこんなところで寝たんじゃあるまいな」彼は寝こむまえのいろいろなできごとを思いかえしてみた。酒樽をかついだ奇妙な男、山の峡谷、岩のなかの荒れはてた隠れ場所、ナインピンズをしている陰気な連中、酒壜。「ああ、あの酒壜。あいつが怪しからんのだ」とリップは思った。「女房にどう言いわけをしたらよいだろう」 彼はあたりを見まわして銃をさがしたが、磨いて油をひいてある鳥打ち銃のかわりに、古い火縄銃がかたわらにころがっているのを見つけた。銃身は錆だらけで、銃機はおちかかり、台尻は虫にくわれている。そこで彼は、あのしかつめらしい顔をした山の威張り屋どもが自分をだまし、酒を盛って酔いつぶし、銃をうばいとったのだろうと思った。ウルフも姿を見せなかったが、栗鼠かしゃこを追って、おそらくどこかへ迷いこんでしまったのだろう。彼は口笛を吹き、その名を呼んでみたが、なんの甲斐もなかった。
リップ・ヴァン・ウィンクル
山びこが彼の口笛と呼び声とを繰りかえすだけで、犬の姿はまるで見当らなかった。 彼は昨夜の遊戯場にもう一度行ってみて、もしあの連中のうちのだれかに出あったら、犬と銃とを返してもらおうと決心した。彼は立ちあがって歩こうとしたが、からだの節々がこわばって、いつものようにはきびきびと動けないのに気がついた。「こういう山の寝床はおれには向かんわい」とリップは考えた。「もしこんな浮かれさわぎのおかげで、リュウマチの発作でもおこして寝こもうもんなら、女房のやつにさぞありがたい目にあわされるだろうな」どうにかこうにか、彼は谷間へおりていった。彼は、ゆうべ自分が連れといっしょに登った峡谷を見つけはしたが、おどろいたことに、今は渓流が泡を立てて流れおち、岩から岩へ飛びちって、せせらぎが谷間いっぱいにあふれていた。しかし、彼はどうにかその縁をよじのぼり、白樺や樟やまんさくの林のなかを、やっとのことで通りぬけ、ときには野生の葡萄づるにつまずいたりからまったりした。
リップ・ヴァン・ウィンクル
葡萄づるは木から木へ蔓や巻ひげをまきつけ、彼の行くみちに網をひろげていたのである。 とうとう彼は、峡谷が断崖のあいだをぬけて、円形劇場へと通じていた場所にたどりついた。しかしあの通路は跡形もなかった。岩は通りぬけられないほどの高い壁をつくっていて、その上からは、激流が羽毛のような水しぶきをあげて流れおち、周囲の森のかげで暗くなった広くて深い滝つぼに落ちこんでいた。あわれなリップはここで行きづまってしまった。彼はふたたび犬の名を呼び、口笛を吹いた。それに答えたのは、一群の怠け烏のかあかあ鳴く声だけだった。その烏どもは、陽あたりのよい断崖の上に差しでた枯木のあたりの空に、高々と舞ってあそんでいたが、高いところにいるのをいいことにして、途方にくれた憐れな男を見おろし嘲笑しているように見えた。どうしたらよいだろう。朝も過ぎようとしていた。リップは朝飯を食べていないので、ひどく空腹を感じていた。彼は犬と銃とをあきらめるのが悲しかったし、女房にあうのは恐ろしかった。
リップ・ヴァン・ウィンクル
かといって、山のなかで餓死したところで何になろう。彼は首をふると、錆びついた火縄銃を肩にして、当惑と心配とで胸をつまらせながら、家の方に足を向けた。 村に近づくにつれて、彼は大ぜいのひとびとに出あったが、顔見知りの人はひとりもいなかった。これにはいささか驚いた。この近在の人なら、だれでも知り合いだと思っていたからである。彼らの服装が、また、彼の見なれていたものとは違った型のものだった。彼らのほうでもみな彼を見つめて、同じくびっくりした様子だった。そして、彼に眼を注ぐと、だれもかれも自分の顎をなでた。こういうしぐさが絶えず繰りかえされるので、リップは思わず知らずつりこまれて、顎に手をやった。すると、驚いたことに、顎ひげが一尺ものびていたのだ。 彼はもう村はずれに入っていた。見知らぬ子供たちの群があとについてきて、うしろからわいわい囃したて、灰色の顎ひげをゆびさした。犬もまた昔なじみのものは一匹として見あたらず、彼が通りかかると吠えたてた。
リップ・ヴァン・ウィンクル
村そのものも変っていた。以前より大きくなり、人もずっと増えていた。前には見かけたこともない家が建ちならび、彼がよく出入りした家はひとつもなくなっていた。見知らぬ名前の標札が戸口にかかり、見知らぬ顔が窓に見え、何もかも知らないものばかりだった。彼は不安になってきた。自分がまわりの世界といっしょに魔法にかけられているのではないかと疑いはじめた。たしかにここは自分が生れた村で、ここを出たのはつい昨日のことだ。カーツキル山脈がそびえている。遠くには銀色のハドソン河が流れている。どの丘もどの谷も寸分たがわず前のままだ。リップはすっかり途方に暮れてしまった。「昨夜のあの酒壜が」と彼は思った。「おれの頭をまるでめちゃめちゃにしてしまったのだ」 彼はやっとのことで自分の家に行く道を見つけ、黙っておそるおそる家に近づいて行きながら、今か今かと女房のかんだかい声がきこえてくるのを待ちかまえていた。家は朽ちはてていた。
リップ・ヴァン・ウィンクル
屋根は落ちこみ、窓は破れ、扉は蝶つがいがはずれていた。ウルフに似た餓死しかかった犬が、そのまわりをこそこそ歩いていた。リップは犬の名を呼んでみたが、そのやくざ犬は唸り声をあげ、歯をむいて、行ってしまった。これはまったくひどい仕打ちだった。「おれの犬までが」とリップは溜め息をついて言った。「おれを忘れてしまったわい」 彼は家に入った。ほんとうの話、その家はヴァン・ウィンクルのかみさんが、いつもきちんとしておいたものだった。それががらんとしてものさびしく、住む人もないらしかった。この荒れはてたさまに、女房の恐ろしさも消えうせ、彼は大声で妻子を呼んだ。人けのない部屋が、一瞬彼の声で鳴りひびいたが、またひっそりと静まりかえってしまった。 そこで彼はそとへとび出し、昔よく行きつけた村の宿屋へ急いだ。だが、それもなくなっていた。それにかわって、大きながたぴしの木造の建物が建っていた。窓はぽっかりと大きな口をあけ、それもいくつかこわれ、古帽子や着古しのペティコートでつくろわれており、扉の上にはペンキで「ユニオン・ホテル、経営者ジョナサン・ドゥリトル」と書いてあった。
リップ・ヴァン・ウィンクル
かつてはあの大木が静かな小さいオランダ風の宿屋に影をなげかけていたのに、今は高いはだかの竿が一本立っており、てっぺんに赤いナイトキャップのようなものがついていて、そこから、星と縞とをおかしな工合に組みあわせた旗がひるがえっていた。こういうことは何から何まで妙で、合点がいかなかった。けれども、彼は看板にジョージ陛下の赤ら顔をみとめた。その肖像の下で、彼はいくたびとなくのどかにパイプをくゆらしたものだった。だが、このジョージ陛下さえも妙に変っていた。赤い軍服は、青と浅黄色との上衣にかわり、手には王笏のかわりに剣をもち、頭には縁のそりあがった三角帽をかぶり、下にはペンキの大きな文字で、ワシントン将軍と書いてあった。 戸口のあたりにはいつものように人だかりがしていたが、ひとりとしてリップに見おぼえのある人はいなかった。ひとびとの性質までが変ってしまったように思われた。あのなじみの深いゆったりとした睡けをさそう静けさはなくなり、なんとなく忙しげにざわついていて、議論好きなふうがあった。
リップ・ヴァン・ウィンクル
賢者のニコラス・ヴェダーを探しても見あたらなかった。あの人は、顔は幅広で二重顎、立派な長いパイプを手にして、煙草の煙を雲のように吐きだし、無駄口などたたかなかったものだ。また、古新聞の記事をぼそりぼそり読みあげる校長のヴァン・バンメル先生をさがしても無駄だった。こういう人たちのかわりに、痩せた気短かそうな男が、ポケットにいっぱいびらをつめこんで、人民の権利、選挙、国会議員、自由、バンカーズ・ヒル、一七七六年の英雄たち、だのなんだのとさかんにわめきちらしていたが、当惑しきっているヴァン・ウィンクルには、唐人の寝言のようでさっぱり訳がわからなかった。 リップが長い胡麻塩ひげを生やし、錆びついた鳥打ち銃をもち、奇態な服装で、大ぜいの女子供をうしろに従えてあらわれると、すぐに政治家気取りの酒場の論客たちの目をひいた。彼らはリップのまわりに集って、頭から足の先までひどくもの珍らしそうにじろじろと見た。
リップ・ヴァン・ウィンクル
くだんの弁士が、急いでリップのところへきて、彼をちょっと脇へ引っぱってゆき、「どちらへ投票するのか」とたずねた。リップはぽかんと間のぬけたように眼を見はった。別の背の低い、こせこせした男が、彼の腕を引っぱり、爪先立って彼の耳もとでたずねた。「君は連邦党か、民主党か」リップは前と同様、質問の訳がわからず途方にくれた。このとき、尖のとがった縁反りの三角帽子をかぶった心得顔の尊大な老紳士が、肘でひとびとを左右に押しわけ、群衆のあいだを縫ってきて、ヴァン・ウィンクルの前に立ちはだかった。片腕を腰に当て、もう一方の腕をステッキにのせたが、その鋭い眼光ととんがり帽子とは、まるでリップの心の奥までつらぬくばかりだった。この男はきびしい口調でリップに問いただした。「なんだっておまえは選挙にくるのに、銃をかつぎ群衆をひきつれてきたのだ。村に暴動でもおこすつもりなのか」「ああ、みなさん」とリップはややうろたえて叫んだ。
リップ・ヴァン・ウィンクル
「わしは、ここの生まれの、つまらない、おとなしいもので、王様の忠義な臣民です。王様万歳」 すると、まわりの見物人たちがいっせいに騒ぎたてた。「王党だ、王党だ、スパイだぞ、亡命者だぞ。追いだせ、叩きだせ」 例の三角帽のもったいぶった男が、やっとのことで一同を鎮めると、十倍もいかめしい顔つきをして、またこの素性の知れぬ未決囚にむかい、なんのためにここへきたのか、だれを探しているのか、と詰問した。憐れなリップはおずおずと、自分は悪意があるわけでなく、ただ、いつも近所の人たちがこの宿屋のあたりにきているので、ここへ探しにきただけなのだ、とへりくだって言った。「なるほど、それはだれだ。名前を言ってみたまえ」 リップはちょっと考えてからたずねた。「ニコラス・ヴェダーさんはどこにおりますかい」 しばらく答えるものはなかったが、やがてひとりの老人が細いかんばしった声で言った。「ニコラス・ヴェダーさんだって。おやおや、あの人は十八年もまえに死んでしまったよ。教会の墓地に、木の墓標があってな、あの人のことが残らず誌してあったんじゃが、それも今は腐って、なくなってしまったわい」
リップ・ヴァン・ウィンクル
「ブロム・ダッチャーさんはどこにおりますかね」「ああ、あの人は戦争のはじめに陸軍へ入隊しなさったが。ストーニー・ポイントの攻撃で戦死したという人もいるし、アントニーズ・ノーズのふもとで嵐にあって溺れ死んだという人もおるがね。わたしはよく知らないんじゃが、二度と戻ってこなかった」「ヴァン・バンメル校長先生はどうしましたね」「あのかたも戦争に行かれて、国民軍の偉い大将じゃったが、今は国会議員になんなさったよ」 故郷や友人たちにこんな悲しい変化があったのを聞き、自分がこの世の中にひとりぼっちになってしまったのを知って、リップは心細くなってしまった。どの返事をきいても、ひどく長い年月が経ったような話だし、さっぱり訳のわからぬことをいうので、彼は困りきってしまった。戦争、国会、ストーニー・ポイント。彼はこれ以上ほかの友人のことを聞く勇気もなくなり、絶望のあまり大声で叫んだ。「ここにいるかたで、リップ・ヴァン・ウィンクルを知っている人はいませんか」
リップ・ヴァン・ウィンクル
「ああ、リップ・ヴァン・ウィンクルか」と二、三のものが叫んだ。「ああ、知ってるとも。あれ、あそこにいるのがリップ・ヴァン・ウィンクルだよ。木によっかかっているのがね」 リップは見た。すると、山に登ったときの自分に瓜二つの男が目に入った。自分同様、いかにもものぐさらしいし、じっさい、ぼろをまとっているところはおなじだった。憐れなリップは、まったく頭がこんがらかってしまった。自分の正体があやしく思われ、自分がほんとうに自分なのか、それとも別の人間なのか疑わしくなった。彼が当惑しきっていると、くだんの三角帽子の男が、おまえはいったいだれなのか、名はなんというのか、と訊いた。「知るもんか」とリップは思案にあまって叫んだ。「おれは自分じゃない。だれかほかの人間だ。向うにいるあれがおれだ。そうじゃない。あれはおれの後釜にすわっただれか別な男だ。おれはゆうべはおれだったが、山の上で寝こんでしまって、鉄砲はかえられるし、何もかも変って、おれまでかわってしまった。自分の名前も、自分がだれなのかもわからない」
リップ・ヴァン・ウィンクル
まわりで見ていた人たちは、このとき互いに顔を見合わせ、うなずき合い、意味ありげに目くばせして、額を指でたたいた。また、囁き声で、鉄砲を取りあげて、その老人に危いまねをさせないようにしたら、というものもいた。この言葉を耳にしただけで、あの三角帽子の尊大な男は、いささかあわててその場をひきさがった。みんなが息をのんだ瞬間に、一人の若々しい器量のよい女が、人だかりを押しわけて、この胡麻塩ひげの男をのぞきにやってきた。女はまるまると肥った子を抱いていたが、その子は彼の様子におどろいて泣きだした。「おだまりよ、リップ」と彼女は大声で言った。「おだまり、お馬鹿さんね。あのおじいさんは何もしやしないよ」子供の名といい、母親の様子といい、声の調子といい、すべてが、つぎつぎと彼の心に記憶を呼びおこした。「おまえさんの名はなんというのかね、おかみさん」と彼がたずねた。「ジュディス・ガーディニアです」「で、お父さんの名前は」
リップ・ヴァン・ウィンクル
「ほんとに、気の毒ですわ。リップ・ヴァン・ウィンクルっていうんですけど、二十年も前に鉄砲をもって家を出られたっきり、その後なんの音沙汰もないんです。犬だけひとりで帰ってきましたけど、お父さんが鉄砲で自殺なさったのやら、インディアンにさらわれておしまいになったのやら、だあれにもわからないんです。あたしはそのころまだほんの子供でしたわ」 リップはもう一つだけ聞きたいことがあった。それを言うときには、声がふるえた。「お母さんはどこにいるのかね」「あら、お母さんもつい先頃亡くなりました。ニューイングランドの行商相手にかんしゃくをおこして、血管を破ってしまったんです」 この知らせで、少くともいくらか気楽になった。この正直な男は、もう我慢ができなくなった。彼は娘とその子を抱きしめた。「わしはおまえのお父さんだよ」と彼は叫んだ。「むかし若かったリップ・ヴァン・ウィンクルさ。今はおじいさんのリップ・ヴァン・ウィンクルだよ。だれも憐れなリップ・ヴァン・ウィンクルがわからないんですか」
リップ・ヴァン・ウィンクル
みな驚いて突ったっていた。やがて一人の老婆が群衆のなかからよろよろと出てきて、片手を額にかざし、その下からリップの顔をちょっとのぞいて、叫んだ。「たしかにそうだよ。リップ・ヴァン・ウィンクルさんだよ。あの人だよ。よくまあお帰りなさった、あんたさん。ほんにまあ、二十年もの長いあいだ、どこへ行ってなさった」 リップの話はすぐにすんだ。丸二十年が彼にはたった一夜に過ぎなかったからだ。近所の人たちはその話をきいて目を丸くした。互いに目くばせしたり、舌で頬をふくらませたりしているものもいた。三角帽子をかぶった尊大な男は、もう危険がないとなると、またこの戦場にもどってきていたが、口をへの字にむすび、首を振った。それにあわせて、集っている人たちもみな同じように首を振った。 ともあれ、一同はピーター・ヴァンダドンク老人の意見をうかがうことにした。すると彼が悠々と道を歩いてくるのが見えた。彼の祖先にはこの地方のいちばん古い記録を著した同じ名前の歴史家があった。
リップ・ヴァン・ウィンクル
ピーターはこの村きっての古老で、この近隣のふしぎなできごとや伝説にはことごとく通じていた。彼はすぐにリップを思いだし、よく納得のゆくようにリップのした話を証拠立てた。彼が一同に向って述べたところによると、カーツキル山脈にむかしから異様なものが出没することは、自分の祖先の歴史家から伝えられている事実である。また、ハドソン河とこの地方とをはじめて発見した偉人ヘンドリック・ハドソンが、半月丸の乗組員をひきつれて、二十年目ごとにその山で寝ずの番のようなことをするのも確認されている。このようにして、彼は自分が探険した現場を繰りかえし訪ね、自分の名がつけられているハドソン河とハドソン市とを守護することを許されているのである。かつてピーター老人の父親は、彼らが古風なオランダ服を着て、山の窪地でナインピンズをしているのを見たことがあるし、ピーター老人自身も、ある夏の午後、彼らの球の音が遠雷のとどろきのようにひびくのを聞いたことがある、ということだった。
リップ・ヴァン・ウィンクル
手短かに話すと、一同はちりぢりになって、もっと大切な選挙の騒ぎへともどっていった。リップの娘は、父親を家に連れて帰り、いっしょに暮らすことにした。彼女は、こぢんまりした造作のととのった家をもち、大丈夫で陽気な農夫をつれあいにしていた。リップはその男が、よく自分の背中によじのぼった腕白小僧の一人であることを思いだした。リップの跡取り息子はというと、さっき木によりかかっていた父親に生き写しの男だが、これは野良仕事にやとわれていた。親譲りの性格まるだしで、なんにでも首をつっこむが、自分の仕事はそっちのけだった。 さて、リップは、昔のような出歩きやそのほかの習慣をふたたび始めた。彼はやがて、以前の親しい友達を大ぜい見出したが、みなどうやら寄る年波で弱っていた。そこで彼は好んで若い人たちと交わるようにしたので、間もなく彼らから大へん好かれるようになった。 これといって家でする仕事もなく、怠けていてもどうこういわれぬ、いわゆるありがたい年齢にもなっていたので、彼はまた宿屋の戸口のベンチに席をしめ、村の長老の一人として敬われ、「独立戦争前」の古い時代の年代記として崇められた。
リップ・ヴァン・ウィンクル
しばらくすると、彼は、まともな噂話の仲間入りができるようになったし、昏睡しているあいだに起きた、変ったできごとがのみこめるようにもなった。革命戦争があったこと、この国が昔の英国の支配を脱したこと、自分はジョージ三世陛下の臣民ではなく、今は合衆国の自由な市民であること、こういったことのいきさつがわかってきた。実のところ、リップはまったく政治には門外漢だった。国家や帝国がどう変ろうと、彼にはほとんどなんの感慨も湧かなかった。けれども、ある種の専制政治があって、彼は長いことその下で苦しんでいたのだった。それは、嬶天下だった。幸いなことにそれも終っていた。結婚生活の首かせがはずれたので、彼は女房の専制を恐れることもなく、いつでも好きなときに出かけ、好きなときに帰ることができた。しかし、女房の名前が出ると、彼は首を振り、肩をすくめ、空をふり仰いだ。それは自分の運命をあきらめた表情とも見えるし、解放された喜びの表情とも受けとれよう。
リップ・ヴァン・ウィンクル
彼は、ドゥリトルの旅館に知らぬ人が着くと、だれにでも自分の話をしてきかせた。はじめのうちは話すたびに、ところどころ違っていたが、それはたしかに、彼が眠りから醒めてまだ間もなかったからだ。しまいには、わたしが今まで述べた話の通りにぴったり落ちつき、この界隈では男も、女も、子供も、それを暗記していないものはなかった。なかには、いつもその話の真実を疑うようなふりをして、リップは頭がどうかしていたのだ、だから、いつでもとりとめがないんだ、と言いはるものもいた。しかし、年とったオランダ人たちは、ほとんどみなこの話を信じきっていた。今日でも彼らは、カーツキルの山のあたりに、夏の午後、雷鳴をきくと、かならずヘンドリック・ハドソンとその部下の乗組員たちとがナインピンズをして遊んでいるのだと言う。このあたりの女房の尻に敷かれた亭主どもは、人生が重荷になってくると、リップ・ヴァン・ウィンクルの酒壜から一口飲んで、気楽になりたいものだと一様にねがうのである。
リップ・ヴァン・ウィンクル
註 上述の物語は、ニッカボッカー氏が、フレデリックの赤髭皇帝とキュフホイザー山とについての、ドイツの一迷信から思いついたものではないかと考える人もあろう。しかし、彼がこの物語に付記した次の註は、それがまったくの事実談で、彼が例のように忠実に述べたものであることを物語っている。「リップ・ヴァン・ウィンクルの物語は、多くの人には容易に信じられないかも知れない。だが、それにもかかわらず、わたしはこの話に全幅の信頼を寄せている。昔のオランダ植民地付近が、しばしばふしぎなできごとや現象におびやかされていたのを知っているからである。実のところ、わたしはハドソン河沿岸の村々で、これよりももっと奇妙な物語をたくさん聞いたことがあるが、どの話もじゅうぶんに実証されていて、疑う余地がなかった。わたしは親しくリップ・ヴァン・ウィンクルと話しあったことさえある。最後に彼と会ったときは、大そう高齢になっていたが、ほかのどんなことにも、まことに筋道が通って首尾一貫していたので、心ある人ならこの話を信じないわけにはゆかないだろうと思う。いや、わたしはこの話についての証明書が、地方の裁判官の前に差しだされ、裁判官自身の手で、十字の記号が書きつけられたのを見たことがある。このような次第だから、この物語にはとうてい疑いをさしはさむことはできないのである。D・K」訳註 ジー・シー・ヴァープランク卿のニューヨーク歴史研究会における卓越せる講演を参照せよ。
わたくし自身について
わたしはホーマーと同じ考えである。ホーマーの考えというのは、カタツムリが、殻からはい出して、やがてガマになると、そのために腰掛けをつくらなければならなくなる。それと同じように、旅人も生れ故郷からさまよい出ると、たちまち奇妙なすがたになるので、その生活様式にふさわしいように住む家を変え、住めさえすれば、たとえのぞみの場所ではなくとも、そこに住まなければならなくなるというのである。――リリー「ユーフューズ」 わたしはいつでも、はじめての土地に行って、変った人たちや風俗を見るのが、好きだった。まだほんの子供のころから、わたしは旅をしはじめ、自分の生れた町の中で、ふだん行かない所や知らない場所にいくども探険旅行をして、しょっちゅう両親をおどろかしたり、町のひろめやの金もうけの種になったりしたものだ。少年時代になると、わたしは観察の範囲をひろげた。休みの日の午後には、郊外を散歩し、歴史や物語で名高いところにはすっかりくわしくなった。
わたくし自身について
人殺しや追いはぎがあったとか、幽霊が出たとかいうところは一つ残らず知りつくした。近隣の村々に出かけて行って、そこの風俗習慣を見たり、賢人名士たちと話しあったりして、大いに知識をふやした。ある長い夏の日には、遠くはなれた丘のいただきに登り、何マイルもひろがっている「未知の国」をはるかに見わたし、自分が住んでいる大地があまりにも広大なことを知って驚嘆したものである。 こういう漫歩癖は年とともに強くなった。航海記や旅行誌がわたしの愛読書となり、あまり読みふけって、学校の正規の勉強はほったらかしの始末だった。からりと晴れた日に桟橋をあちこちと歩き、遠い異境に向って出帆する船を見まもりながら、わたしは深いものおもいに沈んだ。次第に小さくなってゆく船の帆を見つめ、地の果てにただよってゆくわが身を空想するとき、どんなにわたしの眼はあこがれに輝いたことだろう。 さらに書物を読み、ものごとを考えるようになると、このとりとめもない癖は、以前よりも分別がついたとはいうものの、なおいっそう動かすことのできないものになった。
わたくし自身について
わたしは故国の各地を遍歴した。もしわたしが単に美しい風景を見るのが好きだというだけだったら、他国にまで行って望みを満たそうとは思わなかったにちがいない。自然の魅力がかくもふんだんに与えられている国はどこにもないからだ。銀をとかしこんだ大海のような雄大な湖水。明るい大空の色に染まった山々、豊かなみのりに満ちあふれる山あいの地。人も訪れぬところに、轟々と音をたてておちる巨大な滝。自然のままの緑に波うつ果てしない大平原。おごそかに音もなく大洋へと流れてゆく、深く広い大河。堂々たる木々がおいしげる人跡未踏の森林。夏の日にまきおこる雲に燃え、陽光がさんさんと輝く、この国の大空。まったく、アメリカに住む人にとっては自国のそとに自然の景観の美と崇高とをもとめる必要はすこしもないのだ。 しかし、ヨーロッパはいろいろと人をひきつけるものをもっている。それは物語や詩歌にわれわれの想いをはせさせる。美術の傑作、教養高い社会の優雅なたしなみ、昔から伝えられている地方色ゆたかな珍しい慣習が、そこには見られるのだ。
わたくし自身について
わたしの母国は青春の希望にあふれているが、ヨーロッパはすでに年功をつみ、永いあいだに蓄積した宝物に満ちている。その廃墟は過ぎし日の歴史を語り、くずれおちてゆく石の一つ一つが、それぞれ年代記そのものなのだ。わたしは、名声の高い偉業が行われた跡を歩きまわり、古人が残した足跡を踏み、すさび果てた古城のあたりに遊び、崩れかかった高殿の楼上で瞑想したくてならなかった。ひとことでいえば、凡俗な現実世界をのがれて、くらく荘厳な過去のなかに身を没したいと願ったのだ。 そのうえ、わたしはまた世界の偉人たちに会うことも切望していた。たしかにアメリカにも偉人はいる。どの町にも偉人はおおぜいいる。わたしも若いころには、そういう人たちと交わり、その影におおわれてすっかり萎縮してしまうところだった。凡人にとって、偉人、とりわけ町の偉人の影ほど害になるものはない。しかし、わたしはヨーロッパの偉人にあいたかった。なぜかというと、いろいろな哲学者の著書で読んだところによると、アメリカではすべての動物が退化するが、人間もその例にもれないということだったからである。
わたくし自身について
そこで思うに、アルプスの頂きがハドソン河流域の高地より高いように、ヨーロッパの偉人はアメリカの偉人よりすぐれているに違いない。そしてわたしはこの考えに確信をもった。わたしたちのあいだで見うけられる多くのイギリス人の旅客がどうも貫禄があり、なかなか偉そうに見え、しかも、この連中だって自分の国に帰れば、ほんのつまらない人間にすぎないことがわかったからだ。この不思議な国に行ってやろう、そうして、退化した人間であるわたしの、祖先にあたる巨人族を見てやろう、とわたしは思った。 幸か不幸か、わたしは放浪欲を満たした。いろいろな国を遍歴し、変転きわまりない人生模様を目のあたりに見た。わたしはそういうものを哲学者の眼で学んだとはいえない。むしろ、平凡な絵画愛好者が版画屋の窓から窓へとぶらぶらのぞき歩いてゆくときのように、飄然と見てきたのだ。ときには美人画に心をうばわれ、ときにはデフォルメした漫画に、あるいはまたすばらしい自然の風物に見とれたりした。
わたくし自身について
近ごろの旅行家は、鉛筆を手にして旅をし、スケッチで紙ばさみをいっぱいにして持ちかえるのがしきたりであるから、わたしも二、三整えて、友人たちの興にそえたいと思う。だがしかし、そのために書きとめておいた備忘に目をとおしてみると、わたしはすっかり意気銷沈してしまう。取りとめもなく気ままにしていたおかげで、書物を書こうとするようなちゃんとした旅行家なら、だれでもしらべる立派なものをわたしは見おとしてしまったのだ。せっかくヨーロッパ大陸を旅行したのに、放浪癖が強かったために、不幸にもひと眼につかないつまらぬところでばかり写生してきた風景画家と同じように、見る人をがっかりさせてしまうかも知れない。というわけで、そのスケッチ・ブックには、百姓家や、風景や、名もない廃墟がぎっしりつまっているのだが、セントピータース寺院とか、ローマ円形劇場とか、テルニ瀑布とか、ナポリ湾は描かずにしまった。そして、画帳を全部ひらいても、氷河や火山は一つもはいっていないのである。
ファラデーの伝
序 偉人の伝記というと、ナポレオンとかアレキサンドロスとか、グラッドストーンというようなのばかりで、学者のはほとんど無いと言ってよい。なるほどナポレオンやアレキサンドロスのは、雄であり、壮である。しかし、いつの世にでもナポレオンが出たり、アレキサンドロスの出ずることは出来ない。文化の進まざる時代の物語りとして読むには適していても、修養の料にはならない。グラッドストーンのごときといえども、一国について見れば二、三人あり得るのみで、しかも大宰相たるは一時に一人のみしか存在を許さない。これに反して、科学者や哲学者や芸術家や宗教家は、一時代に十人でも二十人でも存在するを得、また多く存在するほど文化は進む。ことに科学においては、言葉を用うること少なきため、他に比して著しく世界的に共通で、日本での発見はそのまま世界の発見であり、詩や歌のごとく、外国語に訳するの要もない。 これらの理由により、科学者たらんとする者のために、大科学者の伝記があって欲しい。
ファラデーの伝
しかし、科学者の伝記を書くということは、随分むずかしい。というのは、まず科学そのものを味った人であることが必要であると同時に多少文才のあることを要する。悲しいかな、著者は自ら顧みて、決してこの二つの条件を備えておるとは思わない。ただ最初の試みをするのみである。 科学者の中で、特にファラデーを選んだ理由は、第一に彼は大学教育を受けなかった人で、全くの丁稚小僧から成り上ったのだ。学界にでは家柄とか情実とかいうものの力によることがない、腕一本でやれるということが明かになると思う。また立身伝ともいえる。次に彼の製本した本も、筆記した手帳も、実験室での日記も、発見の時に用いた機械も、それから少し変ってはいるが、実験室も今日そのまま残っている。シェーキスピアやカーライルの家は残っている。ゲーテ、シルレルの家もあり、死んだ床も、薬を飲んだ杯までもある(真偽は知らないが)。ファラデーのも、これに比較できる位のものはある。
ファラデーの伝
科学者でファラデーほど遺物のあるのは、他に無いと言ってよい。それゆえ、伝記を書くにも精密に書ける。諸君がロンドンに行かるる機会があったら、これらの遺物を実際に見らるることも出来る。 第三に、何にか発見でもすると、その道行きは止めにして、出来上っただけを発表する人が多い。感服に値いしないことはないが、これでは、後学者が発見に至るまでの着想や推理や実験の順序方法について、貴ぶべき示唆を受けることは出来ない。あたかも雲に聳ゆる高塔を仰いで、その偉観に感激せずにはいられないとしても、さて、どういう足場を組んで、そんな高いものを建て得たかが、判らないのと同じである。 ファラデーの論文には、いかに考え、いかに実験して、それでは結果が出なくて、しまいにかくやって発見した、というのが、偽らずに全部書いてある。これでこそ発見の手本にもなる。 またファラデーの伝記は決して無味乾燥ではない。電磁気廻転を発見して、踊り喜び、義弟をつれて曲馬見物に行き、入口の所でこみ合って喧嘩をやりかけた壮年の元気は中々さかんである。
ファラデーの伝
莫大の内職をすて、宴会はもとより学会にも出ないで、専心研究に従事した時代は感嘆するの外はない、晩年に感覚も鈍り、ぼんやりと椅子にかかりて、西向きの室から外を眺めつつ日を暮らし、終に眠るがごとくにこの世を去り、静かに墓地に葬られた頃になると、落涙を禁じ得ない。 前編に大体の伝記を述べて、後編に研究の梗概を叙することにした。    大正十二年一月著者識す。前編 生涯生い立ち一 生れ 前世紀の初めにロンドンのマンチエスター・スクエーアで、走り廻ったり、球をころがして遊んだり、おりおり妹に気をつけたりしていた子供があった。すぐ側のヤコブス・ウエルス・ミュースに住んでいて、学校通いをしていた子供なのだ。通りがかりの人で、この児に気づいた者は無論たくさんあったであろうが、しかし誰れ一人として、この児が成人してから、世界を驚すような大科学者になろうと思った者があろうか。 この児の生れたのは今いうたミュースではない。
ファラデーの伝
只今では大ロンドン市の一部となっているが、その頃はまだロンドンの片田舎に過ぎなかったニューイングトン・ブットが、始じめて呱々の声をあげた所で、それは一七九一年九月二十二日のことであった。父はジェームス・ファラデーといい、母はマーガレットと呼び、その第三番目の子で、ミケルという世間には余り多くない名前であった。父のジェームスは鍛冶職人で、身体も弱く、貧乏であったので、子供達には早くからそれぞれ自活の道を立てさせた。ヤコブス・ウェルス・ミュースの家二 家系 ファラデーの家はアイルランドから出たという言い伝えはあるが、確かではない。信ずべき記録によると、ヨークシャイアのグラッパムという所に、リチャード・ファラデーという人があって、一七四一年に死んでいるが、この人に子供が十人あることは確かで、その十一番目の子だとも、または甥だともいうのに、ロバートというのがあった。一七二四年に生れ、同八六年に死んでいるが、これが一七五六年にエリザベス・ジーンという女と結婚して、十人の子を挙げた。
ファラデーの伝
その子供等は百姓だの、店主だの、商人だのになったが、その三番目に当るのが一七六一年五月八日に生れたジェームスというので、上に述べた鍛冶屋さんである。ジェームスは一七八六年にマーガレット・ハスウエルという一七六四年生れの女と結婚し、その後間もなくロンドンに出て来て、前記のニューイングトンに住むことになった。子供が四人できて、長女はエリザベスといい一七八七年に、つづいて長男のロバートというのが翌八八年に、三番目のミケルが同九一年に、末子のマーガレットは少し間をおいて一八〇二年に生れた。 一七九六年にミュースに移ったが、これは車屋の二階のささやかな借間であった。一八〇九年にはウエーマウス町に移り、その翌年にジェームスは死んだ。後家さんのマーガレットは下宿人を置いて暮しを立てておったが、年老いてからは子供のミケルに仕送りをしてもらい、一八三八年に歿くなった。三 製本屋 かように家が貧しかったので、ミケルも自活しなければならなかった。
ファラデーの伝
幸いにもミュースの入口から二・三軒先きにあるブランド町の二番地に、ジョージ・リボーという人の店があった。文房具屋で、本や新聞も売るし、製本もやっていた。リボーは名前から判ずると、生来の英国人では無いらしい。とにかく、学問も多少あったし、占星術も学んだという人である。 一八〇四年にミケルは十三歳で、この店へ走り使いをする小僧に雇われ、毎朝御得意先へ新聞を配ったりなどした。骨を惜しまず、忠実に働いた。ことに日曜日には朝早く御用を仕舞って、両親と教会に行った。この教会との関係はミケルの一生に大影響のあるもので、後にくわしく述べることとする。 一年してから、リボーの店で製本の徒弟になった。徒弟になるには、いくらかの謝礼を出すのが習慣になっていた。が、今まで忠実に働いたからというので、これは免除してもらった。 リボーの店は今日でも残っているが、行って見ると、入口の札に「ファラデーがおった」と書いてある。
ファラデーの伝
その入口から左に入った所で、ファラデーは製本をしたのだそうである。 かように製本をしている間に、ファラデーは単に本の表紙だけではなく、内容までも目を通すようになった。その中でも、よく読んだのは、ワットの「心の改善」や、マルセットの「化学叢話」や、百科全書中の「電気」の章などであった。この外にリオンの「電気実験」、ボイルの「化学原理大要」も読んだらしい。 否、ファラデーはただに本を読んだだけでは承知できないで、マルセットの本に書いてある事が正しいかどうか、実験して見ようというので、ごくわずかしかもらわない小遣銭で、買えるような簡単な器械で、実験をも始めた。四 タタムの講義 ファラデーはある日賑やかなフリート町を歩いておったが、ふとある家の窓ガラスに貼ってある広告のビラに目をとめた。それは、ドルセット町五十三番のタタム氏が科学の講義をする、夕の八時からで、入場料は一シリング(五十銭)というのであった。
ファラデーの伝
これを見ると、聴きたくてたまらなくなった。まず主人リボーの許可を得、それから鍛冶職をしておった兄さんのロバートに話をして、入場料を出してもらい、聴きに行った。これが即ちファラデーが理化学の講義をきいた初めで、その後も続いて聴きに行った。何んでも一八一〇年の二月から翌年の九月に至るまでに、十二三回は聴講したらしい。 そのうちに、タタム氏と交際もするようになり、またこの人の家には書生がよく出はいりしたが、その書生等とも心易くなった。そのうちには、リチャード・フィリップスというて、後に化学会の会長になった人もあり、アボットというて、クエーカー宗の信者で、商店の番頭をしておった人もある。後までも心易く交際しておった。アボットと往復した手紙がベンス・ジョンスの書いたファラデー伝の中に入れてあるが、中々立派に書いてある。そのうちには、ファラデーが時々物忘れをして困るというような事も述べてある。ファラデーは随分と物忘れをして、困ったので、その発端は既にこの時にあらわれている。
ファラデーの伝
仕方がないので、後にはポケットにカードを入れて置いて、一々の用事を書きつけたそうである。 またアボットの後日の話によれば、ファラデーが自分の家の台所へ来て、実験をしたこともあり、台所の卓子で友人を集めて講義をしたこともあるそうだ。この頃ファラデーが自分で作って実験を試みた電気機械は、その後サー・ジェームス・サウスの所有になって、王立協会に寄附され、今日も保存されてある。 ファラデーはタタムの講義をきくにつれて、筆記を取り、後で立派に清書して、節を切り、実験や器械の図をも入れ、索引を附して四冊とし、主人のリボーに献ずる由を書き加えた。 この筆記を始めとして、ファラデーが後になって聴いたデビーの講義の筆記も、自分のした講義の控も、諸学者と往復した手紙も、あるいはまた金銭の収入を書いた帳面までも、王立協会に全部保存されて今日に残っている。 リボーの店には、外国から政治上の事で脱走して来た人達が泊まることもあった。
ファラデーの伝
その頃には、マスケリーという著名な画家がおった。ナポレオンの肖像を画いたこともある人で、フランスの政変のため逃げて来たのである。ファラデーはこの人の部屋の掃除をしたり、靴を磨いたりしたが、大層忠実にやった。それゆえマスケリーも自分の持っている本を貸してやったり、講義の筆記に入用だからというて、画のかき方を教えてやったりした。五 デビーの講義 ファラデイの聴いたのはタタムの講義だけでは無かった。王立協会のサー・ハンフリー・デビーの講義もきいた。それはリボーの店の御得意にダンスという人があって、王立協会の会員であったので、この人に連れられて聞きに行ったので、時は一八一二年二月二十九日、三月十四日、四月八日および十日で、題目は塩素、可燃性および金属、というのであった。これも叮嚀に筆記を取って置いて、立派に清書し、実験の図も入れ、索引も附けた。だんだん講義を聴くにつれ、理化学が面白くなって来てたまらない。
ファラデーの伝
まだ世間の事にも暗いので、「たとい賤しくてもよいから、科学のやれる位置が欲しい」と書いた手紙を、ローヤル・ソサイテー(Royal Society)の会長のサー・ジョセフ・バンクスに出した。無論、返事は来なかった。六 デビーに面会 そうこうしている中に、一八一二年十月七日に製本徒弟の年期が終って、一人前の職人となり、翌日からキング町に住んでいるフランス人のデ・ラ・ロッセというに傭われることになった。ところが、この人は頗る怒り易い人なので、ファラデーはすっかり職人生活が嫌いになってしまった。「商売のような、利己的な、反道徳的の仕事はいやだ。科学のような、自由な、温厚な職務に就きたい」というておった。それでダンスに勧められて、自分の希望を書いた手紙をデビーに送り、また自分の熱心な証明として、デビーの講義の筆記も送った。しかし、この筆記は大切の物なれば、御覧済みの上は御返しを願いたいと書き添えてやった。
ファラデーの伝
この手紙も今に残っているそうであるが、公表されてはおらぬ。 デビーは返事をよこして、親切にもファラデーに面会してくれた。この会見は王立協会の講義室の隣りの準備室で行われた。その時デビーは「商売変えは見合わせたがよかろう。科学は、仕事がつらくて収入は少ないものだから」というた。この頃デビーは塩化窒素の研究中であったが、これは破裂し易い物で、その為め目に負傷をして焮衝を起したことがある。自分で手紙が書けないので、ファラデーを書記に頼んだことがあるらしい。多分マスケリーの紹介であったろう。しかしこれは、ほんの数日であった。 その後しばらくして、ある夜ファラデーの家の前で馬車が止った。御使がデビーからの手紙を持って来たのである。ファラデーはもう衣を着かえて寝ようとしておったが、開いて見ると、翌朝面会したいというのであった。 早速翌くる朝訪ねて行って面会すると、デビーは「まだ商売かえをするつもりか」と聞いて、それから「ペインという助手がやめて、その後任が欲しいのだが、なる気かどうか」という事であった。
ファラデーの伝
ファラデーは非常に喜び、二つ返事で承諾した。七 助手 それで、一八一三年三月一日より助手になった。俸給は一週二十五シリング(十二円五十銭)で、なお協会内の一室もあてがわれ、ここに泊ることとなった。 どういう仕事をするのかというと、王立協会の幹事との間に作成された覚書の今に残っているのによると、「講師や教授の講義する準備をしたり、講義の際の手伝いをしたり、器械の入用の節は、器械室なり実験室なりから、これを講堂に持ちはこび、用が済めば奇麗にして元の所に戻して置くこと。修理を要するような場合には、幹事に報告し、かつ色々の出来事は日記に一々記録して置くこと。また毎週一日は器械の掃除日とし、一ヶ月に一度はガラス箱の内にある器械の掃除をもして塵をとること。」というのであった。 しかしファラデーは、かような小使風の仕事をするばかりでなく、礦物の標本を順序よく整理したりして、覚書に定めてあるより以上の高い地位を占めているつもりで働いた。
ファラデーの伝
ファラデーが助手になってから、どんな実験の手伝いをしたかというに、まず甜菜から砂糖をとる実験をやったが、これは中々楽な仕事ではなかった。次ぎに二硫化炭素の実験であったが、これは頗る臭い物である。臭い位はまだ可いとしても、塩化窒素の実験となると、危険至極の代物だ。 三月初めに雇われたが、一月半も経たない内に、早くもこれの破裂で負傷したことがある。デビーもファラデーもガラス製の覆面をつけて実験するのだが、それでも危険である。一度は、ファラデーがガラス管の内に塩化窒素を少し入れたのを指で持っていたとき、温いセメントをその傍に持って来たら、急に眩暈を感じた。ハッと意識がついて見ると、自分は前と同じ場所に立ったままで、手もそのままではあったが、ガラス管は飛び散り、ガラスの覆面も滅茶滅茶に壊われてしまっておった。 またある日、このガスを空気ポンプで抽くと、静に蒸発した。翌日同じ事をやると、今度は爆発し、傍にいたデビーも腮に負傷した。
ファラデーの伝
かようなわけで、何時どんな負傷をするか知れないのではあるが、それでもファラデーは喜んで実験に従事し、夕方になって用が済むと、横笛を吹いたりして楽しんでおった。八 勉強と観察 ファラデーは暇さえあれば、智識を豊かにすることを努めておった。既に一八一三年にはタタムの発起にかかる市の科学界に入会した。(これは後につぶれたが)。この会は三・四十人の会員組織で、毎水曜日に集って、科学の研究をするのである。この外にもマグラース等六・七人の同志が集って、語学の稽古をして、発音を正したりなどした。 一方において、王立協会で教授が講義をするのを聴いたが、これも単に講義をきくというだけでは無く、いろいろの点にも注意をはらった。その証拠には、当時アボットにやった手紙が四通も今日に残っているが、それによると、講堂の形から、通風、入口、出口のことや、講義の題目、目と耳との比較を論じて、机上に器械標本を如何に排列すべきかというような配置図や、それから講師のスタイル、聴者の注意の引きつけ方、講義の長さ等に至るまで、色々と書いてある。